《浄化の会・光元堂》グループ(旧ケツアルコワテル組み)の、魔神界(白魔神・黒魔神)に関わる<弥生の仕組み!>の課題の、完全浄化・完全脱皮・完全調和の行も、新たな段階に入ろうとしております。
2014年・2015年の11月に宮城県<多賀城(古代城柵)>跡地で、<自然の諸力・六大要素>の浄化行を、本年1月には<新年の仕組み(弥生)>浄化行を中心に行って参りましたが、これよりは<多賀城(跡地)・多賀城神社>と<多賀神社・多賀大社>に関わる仕組みの浄化・脱皮行も加えてゆきたいと思います。
ちなみに多賀神社は、新生《光元堂》が移転する予定の地縁の、仮の産土(うぶすな)(うぶすな)神社となりますが、新–光元堂の移転なりました暁には、産土(うぶすな)神社は「(未定/新たな名前)神社」に脱皮・移行することとなります。
多賀神社(全国に二百数十社)の本宮、滋賀県犬上郡の《多賀大社》は、会主が仕組み浄化の行に移行する前に一度、参拝行を行なったことがあります。
関西セミナーで、隔月に高速道を車で行く途中、しばしば<多賀サービスエリア>で休憩したこともあり、また阪神大震災の中心地–淡路島の伊弉諾神宮(イザナギ神宮/イザナギ大神・イザナミ大神–父神・母神を奉斎)との関係が気に掛かっていた神社でもありましたので、参拝には行っておりました。
<浄化の会>ではこの3年間、多賀城遺跡・多賀城神社–地で《自然の諸力・六大要素》の各働きを中心に、当地と塩釜神社に関わる仕組み浄化の行を行なって参りましたが、最近まで「<多賀神社>は四社、多賀城を囲むように建てられていた」との情報認識が落ちていて、多賀城と多賀神社・多賀大社(本宮)とに関わる仕組み・浄化行は行っていませんでした。
そのことは、「多賀城神社と多賀神社とは関係ありません」との情報を、検証もなく鵜呑みにしてしまったことにも起因していたようです。
<No.2>
<多賀城>(遺跡)は、奈良盆地を拠点に<大和朝廷>(ヘブライ民族・イスラエル十二支族–天皇一族)が、日本列島に支配体制を展開する中で、東北方面の蝦夷(エミシ=朝廷支配に従わぬ者/アイヌ民族・アラハバキ族……)を制圧・支配する為に724年(神亀5年)に、按察使(あぜち/地方行政観察の為に置かれた令外官/りょうげのかん=後、大・中納言や参議が兼任となる)の<大野東人>によって築城された古代城柵のことです。
当然このことは奥羽・東北地方(北海道含む)における<弥生の仕組み>——世界六大民族<カサラギの仕組み>=スセリヒメ大神・オオクニヌシ大神–潰しとも密接に関係していますが、多賀城や多賀城神社・多賀神社、他周辺の神社を調べても、両神に関わる神社やその名前はほとんど出てきてはいません。
多賀神社に合祀された菅原神社(菅原道真・天満大神)=四代目・カサラギヒコ神の、村社はありました。
多賀城市には多賀神社の他に、柏木神社(藻塩場老翁、藻塩場老女/塩釜神社の随従神)、八幡神社(タケミカヅチ神・フツヌシ神、他)、浮島神社(源融/みなもとのとおる=光源氏のモデル)・他、荒吐神社(アラハバキ/荒脛巾神=ツングース族)等があります。
かつて多賀城内の東北方位に建立された<多賀城神社>が、現在はその入口近くにあった<八幡社>の跡地に遷宮しましたが、それまでその地に存在していた八幡社(合祀された?)の形は無くなっていたとしても、多賀城神社に絡む仕組みとして、その働きは残ってしまっていることになります……。
八幡社・八幡神社の本宮は大分県の《宇佐–八幡宮》ですが、八幡宮・八幡さま・若宮神社とも呼ばれ、全国に3万〜4万社あるとも言われ、日本で一番多く建立された稲荷社・稲荷神社に次ぐ、神社数となっています。
<宇佐八幡宮>・八幡神社のご祭神は、一の御殿(左)に応神天皇–八幡神(タケミカヅチ神=スサノオ系サイボーグ神)、二の御殿(中央)に<比売(ヒメ)大神>(宗像–龍宮三女神=タギツヒメ神・イチキシマヒメ神・タギリヒメ神)、三の御殿(右)に<神功皇后>=邪馬台国の卑弥呼の孫で、ヘブライ民族(イスラエル十二支族のユダヤ系–スセリヒメ大神=丹生都比売神/ニウツヒメシン=黒魔神!)祭殿となっており、中央殿の下にはスサノオ大神(ムウの仕組み)キクリヒメ大神(アトランティスの仕組み)が封じ込められていました。
そして八幡宮の大きな境内の一角に<菱形池>がありますが、その池の水にスセリヒメ大神、池の中の岩にオオクニヌシ大神が封じ込められていました。それを<真名井の仕組み>と言います。
宇佐八幡宮を中心にぐるり、小倉山(宇佐神宮の上宮)・大尾山(大尾神社)・宮山(宇佐神宮の下宮)が、三角形に囲こむように山がありますが、その総称を菱形山といい、この山の間にある池を菱形池と言います。
<菱形>は四角形の意味ではなく、水生植物で白い花が咲く、菱(ヒシ)の実のことで、三角形のお面に角が生えたように見えます。
かいつまんで言いますと、宇佐八幡宮・八幡神社は旧機械妖怪体制宇宙による、スサノオ大神・キクリヒメ大神、オオクニヌシ大神・スセリヒメ大神、他神を潰し・封じ込める、一大拠点の神社となってしまっていました。……八幡神社についての詳細は別のところで。
<No.3>
多賀城についてですが、鎌倉時代の末期から北朝–京都(光明天皇/足利尊氏)と大和国の吉野–南朝(後醍醐天皇/新田義貞)との間で起きた、天皇家をめぐる朝廷の分裂–<南北朝>時代(1336〜1392年)の争いは、東北–奥羽の<多賀城>にも及んでいました。
多賀城跡の入り口に鎮座する<多賀城神社>に、南北朝の動乱期の様相の一端が伺えます。多賀城神社の御祭神は、主神として後村上天皇(南朝の後醍醐天皇の後を継ぐ)を奉斎し、その忠臣の北畠顕家(陸奥守として活躍)、伊達行朝(ゆきとも/東北に下向した北畠顕家に従い式評定衆(しきひょうじょうしゅう)に)、結城宗広(新田義貞とともに鎌倉幕府を滅ぼした後、諸郡奉行として奥州統治を任命され、南朝方に就く)の諸公方もお祀りして居ます。
多賀城の城跡地を右に出て塩釜方面に向かいますと、左側に陸奥一宮の<陸奥総社宮>(陸奥国の百社を合祀)がありますが、以前は多賀城を囲む一社の、多賀社–多賀神社だったようです。
奥州留守職・伊澤氏が斎田(3千刈)を寄進、村上天皇(平安時代中期の第62代天皇)が国府の陸奥太守の時にご祈念したことや、伊達氏歴代の藩主自身が社参す、他との記録あります。
多賀城市高崎の塩釜街道沿いには、<多賀神社>(796年従5位下の神階受く)がありますが、その御祭神は、タケミカヅチ神・フツヌシ神、アマテラス神・クナト神、菅原道真‐天満神が奉斎されています。多賀城の南東に多賀城廃寺跡があり、その中に多賀神社の跡地があったものを、神明社と天神社・志引神社とを合祀して、廃寺跡の隣の現在地に遷座したとのことです。
高崎の<多賀神社>の御祭神のタケミカヅチ神・フツヌシ神・アマテラス神は、旧機械体制宇宙の仕組み潰しの神様方です。その中に押さえ込まれるように、世界六大民族に係るカサラギヒメ神・カサラギヒコ神の<カサラギの仕組み>を負って潰された<菅原道真‐天満神(第4代カサラギヒコ神/オオクニヌシ神)>が祀られています!
残念ながら、私たちが全国の神社・仏閣・教会で、祈願し、帰依する<神・仏・霊>‐神は、旧体制宇宙システムによって潰されて、機械妖怪化させられてしまった、仕組み潰しの<神・仏・霊>‐神です。<神・仏・霊>‐界の正神方は、潰されて長い間その下に、呪縛・怨念‐封じ込めを受けてきました!
<No.4>
これからしばらく新<光元堂>が仮り縁を結ぶ、宮城県仙台市太白区富沢の<多賀神社(大鷹宮)>は、仙台市で一番古い神社と言われていますが、イザナギ神・イザナミ神、アマテラス神・他、合祀(ごうし)神社の、春日神社=フツヌシ神・タケミカヅチ神、アメノコヤネ神・ヒメ神、宝龍神社=タカオカミ神、白鳥神社=ヤマトタケル神が奉斎されております。仙台市には富沢いがいに、名取市にも多賀神社があります。
<多賀>は高い=神の坐(にます)所、高御蔵(たかみくら)、又は箍(たが)を嵌(は)める=固定して留める、縛って固定する=呪いがけ(仕組み?)……箍を外(はず)す、などの意味がありますが、頭痛平癒・延命長寿を願って、円形に千萱(ちがや/竹の神社もある)で編んだ箍(たが)を、賽銭箱の後ろの木の階段の最上段に積んだり、社殿の扉の格子に掛けたり、他・等いたします……。
何気なく民間信仰で使われる供犠(くぎ/捧げもの)・供物等が、仕組み潰しに使われている例がいくつか有ります……。
例えば、手もない足もない!<ダルマ>さんに、「祈願を叶えてくれたら、黒目を入れてあげる!」の(蔑視)信仰は、クニトコタチ神系ミタマの<ダルマ大師>を落とし込め・潰す働きとなっていることや、節分の「鬼は外、福は内!」の風習は、空(くう)と言葉を司る<コトシロヌシ大神>に、「芽が出ないよう!」に炒(い)った豆をぶつけることで、潰されて鬼化した状態から脱皮できないようにしたり……、多賀神社においては、祈願で奉納された茅萱(ちがや)や竹で編んだ箍(タガ)は、旧体制イザナギ・システムによって、正神方を潰してそのタガをはめて呪縛・封じることに使われたり……等々、注意しませんと、仕組み潰しに使われることになりますので、何事にも細心の注意が必要です。
<追加>:
*滋賀県犬上郡多賀町《多賀大社》総本社=イザナギ大神・イザナミ大神、
〈境内社〉~熊野神社=櫛美気野神(スサノオ神)、天神(あまつかみ)神社=アメノミナカヌシ神・タカミムスビ神・カミムスビ神、熊野新宮=速玉之男神(スサノオ神)・夫須美神(イザナミ神)、年神神社・竃(かま)神社、日向神社=ニニギ大神(五重ミタマ)、山田神社=サルダヒコ大神、金咲稲荷社、夷(エビス)神社、子安神社・神明社、聖神社・三宮神社・等。
*多賀神社のご神体山<別宮>‐多賀胡宮(こきゅう)・胡宮(このみや)神社=イザナギ大神・イザナミ大神・事勝国勝長狭神(コトカツクニカツナガサしん)。清流の犬上川沿いの<大瀧神社>は多賀大社の奥宮と言われ、タカオカミ・クラオカミの神が奉斎されています。
これからは、多賀大社・多賀神社の正当な<イザナギ大神・イザナミ大神>様方の、その純粋な働きを使わせて頂いて、「この世界にありとある、すべての呪縛・封じの箍(タガ)を解き、完全浄化・完全脱皮する!」
<No.5>
「全国の多賀神社」:
<北海道>
多賀神社 札幌市中央区南15条西5丁目(札幌護国神社・弥彦神社側)
<東北>
多賀神社 青森県弘前市桜庭外山
多賀神社 宮城県多賀城市高崎
多賀神社 宮城県仙台市太白区富沢&名取市高柳
<関東>
多賀神社 東京都八王子市元本郷町
<甲信越>
多賀神社 長野県松本市出川
<東海>
多賀神社 愛知県常滑市苅屋洞ノ脇
<四国>
多賀神社 愛媛県松山市新立町
多賀神社 愛媛県宇和島市藤江
<中国地方>
多賀神社 島根県松江市朝酌町
<九州>
多賀神社 福岡県直方市直方
〜他二百数十社
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