『新《ケツァルコワトル組》の<元親と代理親>の仕組み』No.4

改めまして、佐田靖治御大師(仕組みの会‐宰主)より平成31年4月4日付にお言葉を頂きそれを確認することと成りましたが、ケツァルコワトル神組の《元親と代理親の仕組み》はすでに、3年前から《ケツァルコワトル神組》の仕組みの責任者は、<元親>のケツァルコワトル・エックハルト(イザナギ神系ミタマ)から、浄化の会・光元堂グループ、その<代理だいり親>会主・冨岡眞光(オオクニヌシ神系のミタマに脱皮)に移行していたと言うことです。

エックハルト(キリスト教‐神秘家・イザナギ神)に関しましては、別のところで詳しく説くことになりますが——マイスター・エックハルト(Meister  Eckhart/1260年頃〜1328年頃)は、神聖ローマ帝国(中世ドイツ)の時代のキリスト教の神学者で、神秘主義的キリスト教を説いた為に、宗教裁判が行われることになりましたがそのすぐ前に亡くなり、死後<異端者>の烙印を押されて多くの著書が燃やされることとなりました。

「エックハルト説教集(岩波文庫)」「神の慰めの書(講談社学術文庫)」「エックハルト・ラテン語著作集/1〜5巻(知泉書館)」「ドイツ神秘主義叢書」「神秘の光マイスター・エックハルト」他。

平成28年7月17日に、宮城県蔵王町‐遠刈田公園にて<地の行>を行いその行と合わせまして、半年以上前に会員に<ケツァルコワトル神像>を紙粘土で作って頂きましたが、その「ご神像の返却‐解体の行」&「ケツァルコワトル(魔神)の旧体制機械システムよりの浄化・脱皮の行」を合わせて行いましたが、その行に対して頂いた神様からのお言葉です。

ちなみにその1年程前から、埼玉県さいたま市の別所沼公園に有ります、メキシコ州から姉妹都市の象徴としてとして頂いた<ケツァルコワトル像(風の神)>や、メキシコ合衆国から友好親善のシンボルとして頂いた代々木公園公園の<羽毛の生えた蛇(ケツァルコワトル)>のデフォルメされた彫像を通しても、ケツァルコワトル組の仕組み‐潰れ・潰しの課題‐浄化行も行って参りました……。

『新《ケツァルコワトル組》の<元親と代理親>の仕組み』No.3

エックハルト・ケツァルコワトル神は機械妖怪神化してしまい、佐田靖治御大師が何度か働きかけ正神への浄化・脱皮を計って頂きましたが、すぐに元に戻ってしまい、宇宙浄化・宇宙革命の仕組み潰しを辞めませんでした。その為に、五大宇宙——過去宇宙の<黄帝(薬師)はじめ宇宙>の仕組みを展開している宇宙に設定された<宇宙公園>に、その破壊的な働きを封じる為に<ケツァルコワトル神像>が作られました。

何処にも動けぬようそこに、しばらく立たされていましたが、会主・眞光がケツァルコワトル神からの浄化・脱皮が果たされ、同時にケツァルコワトル・エックハルトも機械妖怪神から脱皮してイザナギ神(魔神)となりましたので、異次元のその像も光元堂グループが物質界に用意したケツァル像も解体致しました。平成28年7月17日の宮城県蔵王町‐遠刈田公園でのことでした(その時の神界からのお言葉は下記にあり/会員ページに移行)。

 

さらに<元親・代理親>の仕組み浄化は、メキシコの縮図日本に当たる、北海道・洞爺湖の浄化‐合宿行へと展開して、昨年の「旧ケツァルコワトル組の三コース——神界コース=弥生の仕組み、仏界コース=フランク王国の仕組、霊界コース=カトリック‐キリスト教(アステカ文明を中心にした南米・中南米)の仕組の浄化合宿行にと到り、本年よりその三コースの仕組み課題が未完全のため、追加・補正行を展開して本日に到りました……。

『新《ケツァルコワトル組》の<元親と代理親>の仕組み』No.2

シャカの弟子だった迦葉(かしょう/仏)さんはイザナギ神(父神)系のミタマでしたが、宇宙革命の中で本体のイザナミ神(母神)に脱皮して、それもシャカ・カショウさんのミタマは夫婦セット神(本身・反身)でした。そして驚くことに、インドでシャカが悟りを開く前までは——南米・中南米の<アステカ>の仕組みの初期段階アマゾン文明では、わたくしたち《ケツァルコワトル組》グループの一員で<過去七仏>でもあったようです。

これからの光元堂グループは<ケツァルコワトル組>を浄化‐解体・解消するのではなく、元親のケツァルコワトル(魔神化)は抜けて出て行ってしまいましたので、その仕組みの<代理(だいり)親>として、過去ケツァルコワトルグループの犯した一切の仕組み潰しの浄化・脱皮行を、さらに浄化の会・光元堂グループ&会主・冨岡眞光がそれを荷になって展開してゆくことに成りました。

異次元的にはエックハルト(乗っ取りイザナギ神‐旧ケツァルコワトル神)の問題は、<元親と代理親>の仕組みとしてすでに展開していました。

佐田靖治御大師(仕組みの会‐宰主)より平成31年4月4日付のお言葉を頂くことでそれを確認することとなりましたが、ケツァルコワトル神組の《元親と代理親の仕組み》は、会主・冨岡眞光がケツァルコワトル神によるミタマ乗っ取りから完全脱皮した——オオクニヌシ神系のミタマとなった段階から展開していたことになります。

『新《ケツァルコワトル組》の<元親と代理親>の仕組み』No.1

『元親と代理親の仕組み』

旧《ケツァルコワトル組》は解体したのではなく、これからは《光元堂グループ》として、新たな《ケツァルコワトル組》・「元親と代理親の仕組み」として展開してゆくことになります。

《ケツァルコワトル組》の仕組みの責任者は、<元親>のケツァルコワトル‐エックハルト(イザナギ神系ミタマ)から、浄化の会・光元堂グループの会主・冨岡眞光(オオクニヌシ神系のミタマ)に移行致しました。

久遠の過去から会主・冨岡眞光(オオクニヌシ神系のミタマ)は、機械妖怪体制宇宙より生命‐本体の<ミタマ>を乗っ取られ作り変えられて、イザナギ神(父神)系の生命体として生きて来ましたが、ようやく3年前に、エックハルト・ケツァルコワトル機械神の働きを被されたその仕組みから浄化・脱皮し、本来のオオクニヌシ神系のミタマとなりました。

このような例は、わたくしたちの生命宇宙を支配する旧体制機械妖怪システム宇宙では当たり前におきている事ですが、例えば、仏教の開祖の釈迦如来は、本来はイザナギ神(父神)系のミタマですが、潰されてイザナミ神(母神)系のシラヤマヒメ神にさせらてしまっていた為に、悟りを開いたときはシャカ如来(女性仏)となってその教えを説いた為に、仏教は女性性原理の宗教となりました。ちなみにキリスト教はイエスとキリスト(別神だった)は、イザナギ神(父神)系の男性性原理基づいた教えとも言えます。

『港区三田‐亀塚公園<火の浄化行>』

平成31年4月1日、桜前線の北上している都内の春日(はるひ)、高層ビルの立ち並ぶ間合いの公園や、隅田川・江戸川の河岸では、淡いピンク色の桜花が「今が時の最盛!」を祝祭するかに満開している……。

当地<三田‐亀塚公園(キリシタン処刑‐隣接地)>におきまして、浄化の会・光元堂(学びの会)の会員・縁者、先祖各位様、諸縁の神々様、ことには<旧ケツァルコワトル神組>の三コース<神界・仏界・霊界>コース別の諸神様、先祖各位様、動物各生命位、植物各精霊位、生きとし生きる諸々の生命位……様方、ご参集いただきまして《火の行》を行わせて頂きます。

 

火なる神様<ホノメキヒコ大神様・ホノメキヒメ大神様>、ご本体神<イザナギ大神様・イザナミ大神様>、火のホノメキ・ホノメク働きは、その熱き・燃焼する炎の働きにより、総てこの世に有りて在る<障り・汚れ・歪み>、<カビ・ウイルス・細菌>や、宇宙の<ゴミ・ゴミ・ヘドロ>を燃え尽くし、清めて清澄・正常な働きと転換させる。わたくし達〜生命にあっては、その<ホノメキ・ホノメク>働きによって体温を維持し免疫力を高めて、生体を調和・活性化へと導く。

煩悶(もだせるかな! 懊悩(おうのう)せるかな! はるか久遠の過去より科学文明‐盛んの現今に至るまで、人類も(旧)神々も火炎を地獄の火<業火(Hellfire/ヘルファイアー)>として使って来てしまっていなかったか。

原爆・水爆・爆弾・ありてある火の殺傷兵器、そうして人を生きたまま焼却する<火刑!>等。かつて江戸時代にこの三田の地でも、幕府の鎖国政策と相まって<キリシタンの弾圧・処刑>が行われ、それは燎原(りょうげん)の火のように日の本の至る所に広がり……島原の乱の弾圧・処刑を持ってその政策は終息し、幕末となるまでキリスト教徒は、命がけの宗教徒・隠れキリシタンとなって潜伏して行くことになる。

BC1世の始めのローマ時代に、父神‐キリスト(イザナギ大伸)に唯一守護された(ミタマ分けされた)<神の子・イエス>によって開かれた、<霊界コース>《キリスト教の仕組み》とは何であったのでしょうか?

イエスとその十二大弟子が現存して、布教活動を行っていた原始キリスト教期においては、悲惨な激しい弾圧・迫害を受け殉教を繰り返えすも、4世紀にはそれを克服してローマ帝国の公認する宗教となってその教えは帝国内に広がった。

過去の多くの仕組みがそうであったように、「仕組みは潰れる為にあった!」の御多分(ごたぶん)に洩(も)れず、5世紀にローマ帝国が滅亡した後の<キリスト教>はローマ法王庁を拠点に置く<カトリック教>と、ほぼヨーロッパ全体を支配下に置いた《フランク王国(西ローマ帝国の再興)》とが手を結んで国教とした800年には、その<カール大帝>の戴冠式を経て、962年に神聖ローマ帝国を形成し、キリスト教‐宗教による世界支配の礎(いしずえ)を作ることに成ってしまった。

そのことは世界の異教徒の地に対しては、<聖書と剣>による血の弾圧・支配による布教を繰り広げて行くことることになる。

中世(11世紀〜13世紀)の十字軍の遠征を皮切りに、15世紀の大航海時代には、スペイン・ポルトガルやイギリスを中心にした西欧の列強の国々は、アジア・アフリカを植民地支配し、特に南米・中南米では<インディオの文化・文明・宗教>を滅ぼして植民地化し、カトリック・キリスト教を強制していった。現在のメキシコ合衆国では全人口の91パーセントがカトリック教徒となっている。

<宇宙浄化・宇宙革命の仕組み>の最後の拠点地<縮図日本>への列強の侵略は、江戸幕府・徳川家康(大神/五台宇宙の仕組みを負う)の徹底的な鎖国政策によって失敗し、キリスト教徒の布教は却(かえ)って弾圧を受け、幕末まで殉教者の立場と成ってしまう……。

明治維新は仕組み的には、大本教(龍神界)・天理教・黒住教を中心にした<霊界革命>の課題を負って展開してゆきましたが未完成のまま、創価学会の戸田城聖(大伸/シャカ・イザナギ大神)大師の<仏界革命(未完成)>へと引き継がれ、さらには《佐田靖治御大師》ミコト持ちグループを中心にした<神界革命・宇宙革命>の成功により、現在、改めて<仏界コース>の新仏教はじめ、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教・盤古教・精霊界・他の<霊界コース>の仕組みの再構築・再調整がなされて行っている……。

との状況下に有りまして《浄化の会・光元堂(学びの会)》グループは、<弥生の仕組み>・<フランク王国の仕組み>・<南米・中南米(アステカ文明を中心にした)の仕組み>への、潰れ・潰しを行ってきたコトに対しましての、ザンゲ・ザンゲ!<再調整・再構築>‐浄化の全体像が把握できるところ迄やって来ることができましての、当地<三田‐亀塚公園(キリシタン処刑‐隣接地)>におきましての<火の行>の運びとなりましたこと感謝申し上げます。

<追加・詳細‐祈願>

《光元堂グループ》の仕組み課題——◎世界六大民族•カサラギの仕組みに係わる<弥生の仕組み(西郷隆盛神グループ)>への潰れ・潰し‐完全浄化・完全脱皮の追加・補正行、ことには◎<フランク王国の仕組み(アガサ・クリスティー大神グループ)>への潰れ・潰し——<ローマ・カトリック‐キリスト教>による強制布教・支配システム化の完全浄化・完全脱皮の追加・補正行、◎《旧ケツァルコワトル神組》の<中南米・南米の仕組み>の潰れ・潰しに係わります<スペイン・カトリック‐キリスト教>による強制布教(植民地支配)・システム化による罪・科(とが)障り・汚れ、ザンゲ! 完全浄化・完全脱皮・完全調整行、並びに、◎伊達藩藩主‐伊達政宗公(大神)による、支倉常長公(霊神)を責任者にした<遣欧の仕組み>の潰れ・潰し、1612年徳川幕府によるキリスト教‐禁教令、1613年に伴天連(バテレン)追放令、徳川家光公による鎖国令後の<キリシタン弾圧・処刑>に係わる縮図日本地縁——仙台市<広瀬川‐評定河原>・宮城県各弾圧・処刑地、岩手県一関市<大籠(おおかご)キリシタン殉教公園(隠れキリシタン処刑場跡)>・東北各キリシタン弾圧・処刑地、長崎県<島原・天草の乱の弾圧・処刑>地、殊(ことに)は当地《三田‐亀塚公園(キリシタン処刑‐隣接地)》都内・関東・東海地……他・等、に生じました、血で贖(あがな)われた否定的な念・障り・汚れが速やかに浄化・調和し、カトリック高輪教会はじめ縮図日本の教会を中心に致しまして<キリスト教‐霊界の仕組み>が完全浄化・完全脱皮・完全調整が成りますよう! さらには当地を中心に過去起きました、関東大震災・東京都大空襲、広島・長崎原爆投下・他、旧機械体制妖怪システムによる<火の大災厄・大業火ごうか>の記憶・記録システムが完全浄化・完全脱皮・完全調整がなりますよう祈り上げます。

〜祈願文に続く〜

<神社>:御田おんだ八幡神社、芝大神宮、芝東照宮、日枝神社、愛宕神社、乃木神社、穴八幡宮、烏森神社、虎ノ門-金毘羅宮、豊川稲荷-東京別院、他

<寺院>:浄土宗‐斉海寺、智福寺跡(火刑地/練馬区移転)、浄土宗本山‐増上寺、青松寺、瑠璃光寺、泉岳寺、築地-本願寺、赤坂不動尊‐威徳寺、他

<教会>:カトリック高輪教会(火刑地の顕彰碑が移設)、カトリック麻布教会、聖パウロ女子聖堂会、日本キリスト教団高輪教会、日本聖公会東京区聖アンデレ教会、霊南坂教会、六本木ルーテル教会、赤坂教会、末日聖徒イエス・キリスト教会(本部)、他

<モスク>東京ジャーミー

 

『スペインのレコンキスタ(国土回復運動)No.3』

○1873年:<スペイン共和国(第一共和政)>(República Española)アマデオ1世国王が退位した後の、翌1874年に王政復古するまで続いた史上初の短命な共和政体。

○1931年:<スペイン共和国(第二共和政)>アルフォンソ13世国王が退位した後、1939年にフランシスコ・フランコが独裁体制を築いていた時の、スペインの共和政体。

○1931年:スペインでブルボン朝・立憲君主制政体が倒れる。

○1936年:<スペイン革命>ブルジョワ共和政が成立する時に行われた変革——左右‐両勢力が攻防していたことで、ファシズムが台頭して来てしまいそれに対して、左派が人民戦線を結成し、総選挙で勝利して内閣を発足させる。

〜スペイン国内で内乱・内戦が続く〜

○1938年:反乱軍のフランコ(将軍)は30万の軍勢で12月にカタルーニャを攻撃。

○1939年:1月末にフランコ総統は州都バルセロナを陥落させる。人民戦線を支持していた多くの市民が、冬のピレーネ山脈を越えフランスに逃れる。

2月末にフランコ政権の国家樹立をフランスとイギリスが承認する。人民戦線政府のアサーニャは大統領を辞任し、人民政府もフランスに亡命する。

3月にフランコ反乱軍はマドリードに進撃を開始し、内戦の最終的な勝利を勝ち取る。共和派は徹底抗戦の共産党と、戦意を喪失したアナーキストの内紛が発生し瓦解する。マドリードが陥落して、3月31日にフランコはスペイン全土を制圧する。

4月1日にフランコ新政権によって、内戦の終結と勝利宣言が成された。

『スペインのレコンキスタ(国土回復運動)No.2』

○同年:後ウマイヤ朝(ムスリム)がパンプローナ=ナバーラ州の州都(*<ヘミングウェイ>の小説「陽はまた昇る」の舞台に成った所)を攻略する。〜後世‐1930年に<ヘミングウェイ>はスペイン内戦で人民戦線側に加わる「誰がために鐘は鳴る」&晩年は<キューバ!>に移住して「老人と海」を書き、ノーベル賞を受く(旧ケツァルコワトル神組⁉︎)。

○801年:フランク王国がバルセロナ(スペインのムスリム)を攻略する。

○910年:ガルシア1世が軍事的拠点のレオンに遷都し、ガリシア・アストゥリアスの連合国・レオン王国(キリスト教圏)を建国する。

○939年:シマンカスの戦いでキリスト教の連合国が、後ウマイヤ軍を破る。

○〜<省略>〜イベリア半島を巡り、イスラム勢力国とキリスト教圏国との支配・被支配の攻防戦が続く……。

○1469年:アラゴン王太子・フェルナンド2世(カトリック王)とカスティーリャ王女・イサベル(夫婦ともカトリック王と呼ばれる/トラスタマラ王家=14世紀〜16世紀/カスティーリャ王国・アラゴン王国・ナバラ王国や南イタリアを支配)と結婚する。

○1474年:イサベル1世がカスティーリャ王女に即位する。

○1479年:フェルナンド2世がアラゴン王に即位し<スペイン王国>が誕生する。

○1492年:グラナダ(最後のイスラム王朝<ナスル朝>のグラナダ王国の首都)が陥落してムスリ‐ナスル朝が滅亡し、イスラム教からのレコキスタ(国土回復運動)が集結する。

○<スペイン帝国>:1492年〜1898年の<米西戦争>で敗れて、中南米・南米を中心にした、ほぼ総ての植民地を失うまでの領域・期間を指す。

1868年〜1874年迄の間は、革命政権の支配下で国王は空位となり、やがてスペイン共和制に移行する。

『スペインのレコンキスタ(国土回復運動)No.1』

AD‐718年〜1492年までスペインのイベリア半島では、ムスリム(イスラム教)勢力による支配から、キリスト教勢力による国土を奪還する為の運動<レコンキスタ>(Reconquista/国土回復運動)が展開されていた。

特に<光元堂グループ>との関係は——778年<フランク王国>のカール大帝が西ローマ帝国(キリスト教圏)の拡大の為に、ピレネー(山脈)を南下してムスリム勢力の山岳民族・バスク軍と戦い、裏切りと奇襲を受け<ロンスヴォーの戦い>で敗退して、多大なダメージを受けて帰還する(叙事詩/ローランの歌)。その後801年にフランク王国はバルセロナ(現‐カタルーニャ州)を攻略する。

<スペイン・レコンキスタの軌跡>:

○711年:ムスリム(神に帰依する者/全イスラム教徒)勢力のウマイア朝が、イベリア半島に侵攻して、西ゴート王国(スペインの前身)を滅ぼす。

○718年:ペラーヨ(滅亡した西ゴート王国の貴族)が、アストゥリアス王国を建国し、コバドンガの戦いでムスリム勢力に初勝利する(レコンキスタ運動の開始)。

○732年:フランク王国がトゥール・ポワティエ間の戦いで、ウマイヤ朝(イスラム)を破り、ピレーネ山脈(フランク王国との国境)以北へのムスリム勢力の侵攻を阻止する。

○750年:ウマイア朝が滅亡し、アッバース朝——イスラムの黄金時代が始まるる。イベリア半島から東はフランク帝国を除く、中央アジアまで支配する。アラブ人の特権を廃止して、すべてのスリム(イスラム教徒)が平等になる。

○751年:フランク王国がメロヴィング朝から、カロリング朝をピピン3世(カール大帝の父/カロリング=カールの意味)が起こす。

○778年:フランク王国のカール大帝がピレーネ(山脈)を南下して、イスラムを征服しようとするが敗北して撤退する。