『スペインのレコンキスタ(国土回復運動)No.3』

○1873年:<スペイン共和国(第一共和政)>(República Española)アマデオ1世国王が退位した後の、翌1874年に王政復古するまで続いた史上初の短命な共和政体。

○1931年:<スペイン共和国(第二共和政)>アルフォンソ13世国王が退位した後、1939年にフランシスコ・フランコが独裁体制を築いていた時の、スペインの共和政体。

○1931年:スペインでブルボン朝・立憲君主制政体が倒れる。

○1936年:<スペイン革命>ブルジョワ共和政が成立する時に行われた変革——左右‐両勢力が攻防していたことで、ファシズムが台頭して来てしまいそれに対して、左派が人民戦線を結成し、総選挙で勝利して内閣を発足させる。

〜スペイン国内で内乱・内戦が続く〜

○1938年:反乱軍のフランコ(将軍)は30万の軍勢で12月にカタルーニャを攻撃。

○1939年:1月末にフランコ総統は州都バルセロナを陥落させる。人民戦線を支持していた多くの市民が、冬のピレーネ山脈を越えフランスに逃れる。

2月末にフランコ政権の国家樹立をフランスとイギリスが承認する。人民戦線政府のアサーニャは大統領を辞任し、人民政府もフランスに亡命する。

3月にフランコ反乱軍はマドリードに進撃を開始し、内戦の最終的な勝利を勝ち取る。共和派は徹底抗戦の共産党と、戦意を喪失したアナーキストの内紛が発生し瓦解する。マドリードが陥落して、3月31日にフランコはスペイン全土を制圧する。

4月1日にフランコ新政権によって、内戦の終結と勝利宣言が成された。