AD‐718年〜1492年までスペインのイベリア半島では、ムスリム(イスラム教)勢力による支配から、キリスト教勢力による国土を奪還する為の運動<レコンキスタ>(Reconquista/国土回復運動)が展開されていた。
特に<光元堂グループ>との関係は——778年<フランク王国>のカール大帝が西ローマ帝国(キリスト教圏)の拡大の為に、ピレネー(山脈)を南下してムスリム勢力の山岳民族・バスク軍と戦い、裏切りと奇襲を受け<ロンスヴォーの戦い>で敗退して、多大なダメージを受けて帰還する(叙事詩/ローランの歌)。その後801年にフランク王国はバルセロナ(現‐カタルーニャ州)を攻略する。
<スペイン・レコンキスタの軌跡>:
○711年:ムスリム(神に帰依する者/全イスラム教徒)勢力のウマイア朝が、イベリア半島に侵攻して、西ゴート王国(スペインの前身)を滅ぼす。
○718年:ペラーヨ(滅亡した西ゴート王国の貴族)が、アストゥリアス王国を建国し、コバドンガの戦いでムスリム勢力に初勝利する(レコンキスタ運動の開始)。
○732年:フランク王国がトゥール・ポワティエ間の戦いで、ウマイヤ朝(イスラム)を破り、ピレーネ山脈(フランク王国との国境)以北へのムスリム勢力の侵攻を阻止する。
○750年:ウマイア朝が滅亡し、アッバース朝——イスラムの黄金時代が始まるる。イベリア半島から東はフランク帝国を除く、中央アジアまで支配する。アラブ人の特権を廃止して、すべてのスリム(イスラム教徒)が平等になる。
○751年:フランク王国がメロヴィング朝から、カロリング朝をピピン3世(カール大帝の父/カロリング=カールの意味)が起こす。
○778年:フランク王国のカール大帝がピレーネ(山脈)を南下して、イスラムを征服しようとするが敗北して撤退する。