「言葉とは何でしょうか?」

言葉には真(神)言葉と魔(-物)言葉があります。
以前は〈言霊/コトダマ〉と言っていましたが、霊(ダマ/レイ)的世界は、相対的観念の、迷いの世界ですので、コトダマは魔(欲望)的・偽善的な言葉になってしまいます。〈聖書〉はイエス&キリスト-霊賢者(今は霊界神-イザナギ神に脱皮)が説いた、あくまても魔(偽善)的な教えとなります。

仏経経典の仏言(ふつごん)の仏・如来は、機械生命体-サイボーグが進化して〈賢者=仏・如来〉に成った時の、シャカの言葉ですので、その〈仏教経典〉も魔的な迷いの世界の〈偽善的教え〉=善的なコトを押し付ける教えになります……。現在シヤカは、賢者・白魔神を越えて、仏界神-イザナギ神に脱皮しています。

仕組みの会-会主《佐田靖治御大師》は、神様の世界でのやり取りを男性神とは、言葉-日本語(神界の公用語)で話し、女性神とは言葉を使わずに、以心伝心(いしんでんしん)-《意識!》で、コミュニケーションを図るコトもある由。
人間世界でも男性はことさらに「科学的・論理的」にと、魔(欲望)的-正義観的な《言葉!》を駆使して、思想・哲学・倫理・政治・経済……を説き、コミュニケートしようとしてきましたが、言葉は意識しなければ、あくまでもコミュニケーションを媒介とする〈道具〉です。
道具・機械(システム)は、不足・欠如・欠乏した心〈欲望-魔〉を満たすために作られたモノです。

言葉に神の働きが宿っている〈コトダマ!〉と言うように、言葉に調和的な心・意識がなければ、〈言葉〉によって相手を傷つけたり、我欲を通して相手を支配したり、相手を迷わして言いなりにすることになります。
「言葉を通してこそ、より良くコミュニケーションが図られる!」は錯覚です。コミュニケーションを通しての言葉は、その十分の一も伝わりずらいですが、例え言葉や表現をコピーできたとしても、コピーはあくまでも〈モノ化!〉ですので、その本意は伝わりません!

他人の考え・言葉を受けるにしても、熟慮・熟考して、自分自身そのもの《ミタマ!》意識で、言葉化する必要があるのでは……。
太陽系宇宙・地球世界を覆い・囲い込む、旧体制機械妖怪-超コンピュータ-システムからの干渉・支配から、〈自己浄化・自己脱皮・自己確立!〉し、絶えず、「いま・今・いま!」に自分自身《ミタマ》存在でありますように!