——古代の南米・中南米‐文明の神話《羽毛の蛇》 中嶋 稔
〘序 詩〙(導入)
神話(ミソロジー)は荒唐無稽(こうとうむけい)な、
空想的つくり話ばなしなどではなく、
異次元の神様の国で起きた、お噺(はなし)のことです。
日の本‐埼玉県さいたま市の〈別所沼公園〉は、
狂気的な天候異変から、逸(まぬが)れているかのように、
紺碧(こんぺき)の空と、落葉樹の鮮烈なグリーンが、
透明な池にミックス・ジュースして、溶け込み、
折々に、穏やかな佇(たたずま)いを彩色している。
間仕切りが曖昧に成った、暖冬には、
沼の表面(サーフィス)から、ロート状の噴水がふたつ、
大白鳥(しらとり)の羽毛(うもう)を、惜しげなく広げて、
遅咲き‐真っ盛りの、鮮やかな黄・橙・茶の紅葉と、
多彩にコラボレーションしている。
手入れの行き届いた、橙色にペインティングした、
ヌマスギ〈*〉樹の林、メキシコ原産の黄金色の、
円錐形を彫像した、メタセコイアの並樹道、
〜♤♤♤♤♤〜落ち葉の絨毯(じゅうたん)が、人々を招き、
カサカサ・カサゴソ歩いているる。
噴水がひときわ大きく抱擁ポーズして、綿毛の和音を奏で、
対岸の緑と黄の樹木が沼面(ぬまおもて)に、ジョルジュ・スーラが、
セーヌ川の《ジャネット島》〈*〉で、微妙・繊細に、
苦労がさねした〈点描写!〉絵画している。
冬錆びの忍び寄ってきた、日曜日の公園は、
満開の散歩人(びと)が、暮れなずんでいるる。
一陣の竜巻きが、公園を駆け抜けて行き、
落ち葉たちが、くるくると舞い舞い放下(ほうげ)してる。
「失ったモノの数量(かず)より、その質の深さをはかれよ!」
ひっそりと孤高然と立つ、青銅(ブロンズ)製の、
ケツァルコワテル神像〈*〉が、独り言したかのよう。
ネット上では「カッパ少年!」とも呼ばれていた。
「偶像崇拝など……ここにわたくしが、居おるわけもない」
良く視ると、錆び付いたしわがれ聲がしたご神像は、
端正な欧米人風‐顔(かんばせ)に……カッパの嘴(くちばし)に似た、
大きな轡(くつわ)をキツく、はめられているる。
「眼に視えない異次元世界(せかい)には、話しつくしても、
伝わらない真実(トゥルース)! あまた秘め事のあるる」
銅像の背後には、十二分に背の伸びたシュロ樹が12本、
いく本も生えた、扇子の竹骨を大手に広げたかの硬い葉で、
この地から出て行かぬよう!「どんな罪‐犯したの?」
コワテル神像をしっかりと、警備‐封じしているかのよう……
正面にはマヤ・アステカの、生け贄(にえ)した‐祭祀・祭壇の、
ミニチュア‐ピラミッド風な、石台が設(しつら)えてある。
眼下〜左右には、四季折々に花を絶やさぬよう、
彩り開花する花壇あり……昔し、むかしから、
中南米‐インディオの食物だった日輪草(ヒマワリ)が、
記録更新の今夏の酷暑にもめげずに、
ピンと背を張り、大輪(たいりん)の花を咲かせていた。