《始まりの章》
三日三晩、デスク・ワークでの徹夜状態が続いて気づいたら、宇都美源一自身が真っ青な空間に浮かんでいて、机で仕事をしているもう一人の自分を視ていた。「45856……の56の入力が違っている!」と呼びかけても当然、現実の自分に言葉は通じなかった。世に言う幽体離脱が起きていた。
そのまま何処か遠くに行きたいと思えば、「自由に何処にでも行ける!」との思いが起きていたが、「書類を打ち間違えている自分を置いて、何処か飛んで行きたい……外国に行くわけにはゆかない」と思ったところで、デスクトップの松葉浩介に「おーい源一、椅子から転げ落ちるぞ!」と呼びかけられ瞬く間に、我に還えることになっていった。
まるで居眠りをしたコト以外、何事も無かったかのようにその日は、そのまま仕事を続けた。幽体離脱したことよりも、「そのままどこか、外国に行けたなら……」のことの方が、惜しい気がしていた。特に最近は中南米のことが気になっている。理由は良く分からなかったが、昼になると異常にメキシコ料理が食べたくなっていた。
メキシコ料理と言ってもたった一度、代表的な料理の<ナチョス>を結婚式場で食べただけだった。味は全く覚えていないが、トポスにたくさんのアボカドを並べて、メキシカンビーンズとチーズをこれでもかと言うくらい載せて焼き上げた、香ばしいカリカリ–食感を覚えていて、いつかまた食べたいと思った。
幽体離脱が起きた時、焼けたチーズとビーンズの香ばしい匂いがしたように思えたからだ。実際は社員の誰かが、トーストにボーダーチーズを載せ、スパイスを振り掛けてオーブンで焼いていただけだった。
自分の仕事と言っても、毎日、食品会社の集計データの数字を入力することで、宇都美源一は派遣社員だった。「この仕事をしたい!」との強い思いはなく、ただ一つことに拘束されるのが嫌で、色々の仕事をやってきていた。将来これと言った目標など持ったことはなかった。
デパートでデサントやミズノ等の会社の、スポーツ用品を販売するマネキンの仕事をしたり、子供向けお菓子のパッケージ・デザインのアシスタントや、夜中の凸版印刷で印刷物の梱包をしてそれを倉庫に移送する仕事などもしたが、早々とそれは、腰痛になったことで辞めてしまった。……縁のあった仕事は、選択することなく何んでもやった。
特に小学生のころ書道塾に通っていたことがあり、書道の文字バランスが良く書けていたことが縁で、真言宗の寺で塔婆書きを行なったことがあった。この派遣の仕事は一番長く続いたが、1年半過ぎた頃から異常に疲れてきて、あくびが出るようになり、強い頭痛が起きて何度も頭痛薬を飲んでも治らなかったので、引き止められたが結局、そこも辞めてしまった。その寺の僧侶は書道が下手で、跡取りがいなかった寺に就任して以来、檀家の代表の勧めで派遣社員にずっと塔婆を書いてもらっていたとのことだった。
その頃から宇都美源一は、精神的にストレスの多そうな所に行くと、頭痛どころか吐き気がして、ひどい時は嘔吐することもあった。特に人の多く集まる場所では、目まいがしたり、墓所地や寺院でも、時に神社でさえ頭痛がすることがあった。……人の多いデパートなどに行き、特にスピリチュアルな書籍コーナーには長くいられなかった。腰痛や目まい・頭痛がしてきて、その場に10分も立っていられなくなった。原因は分からなかったが、それは自分自身の日頃の精神的な不安定さがもたらしたもので、病気ではないと思っていたので、あえて誰かにそれを相談することもしなかった。