『《歳月(さいげつ)不待(ふたい)》について』 No.3

《補遺》

「大河はじめ宇宙が出現し、その使者が縄文人となって日本の仕組み開きをしていることがわかってきて、富士宮(市)の〈富士山本宮浅間大社〉にその拠点が置かれることとなって……」

*次はこれ以前の情報です。常闇宇宙の更に奥に<大河はじめ宇宙>が現われてきたことで、生命宇宙の全体(概念)像が現れて来たことになります。
「ご先祖大神による縄文神行がやっと動き始めた。この神行の難しさについては、今までに何度も解説してきたことではあるが、それは縄文人が常闇はじめ宇宙の仕組みの使者たちであったからである。そのことがわかったのはつい最近のことであるが、それでもそれが判明するだけでは神行は動かなかった。常闇はじめ宇宙そのものの成長がなされなくては、仕組み現場の使者たちの力の発揮のしようがなかったのである。
日峯(にっぽう)大明神(鍋島家始祖-鍋島直茂)は佐賀神社の前身である松原神社のご祭神であるが、佐賀神社は旧鍋島藩祖先一族を祀った神社である。日峯大明神はオオクニヌシ系の縄文人で、仕組みの先導役であったスセリヒメを潰す働きをさせられていた方、ということのようである。この方と佐田は古いお付き合いであって、時が来たなら仕組みの働きをしていただく約束がしてあったのてあるが、妨害撹乱が激しくてやっとここまでたどり着いたといった状況である。」 (佐田靖治御大師述)

 

 

 

 

 

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