『スペインのレコンキスタ(国土回復運動)No.2』

○同年:後ウマイヤ朝(ムスリム)がパンプローナ=ナバーラ州の州都(*<ヘミングウェイ>の小説「陽はまた昇る」の舞台に成った所)を攻略する。〜後世‐1930年に<ヘミングウェイ>はスペイン内戦で人民戦線側に加わる「誰がために鐘は鳴る」&晩年は<キューバ!>に移住して「老人と海」を書き、ノーベル賞を受く(旧ケツァルコワトル神組⁉︎)。

○801年:フランク王国がバルセロナ(スペインのムスリム)を攻略する。

○910年:ガルシア1世が軍事的拠点のレオンに遷都し、ガリシア・アストゥリアスの連合国・レオン王国(キリスト教圏)を建国する。

○939年:シマンカスの戦いでキリスト教の連合国が、後ウマイヤ軍を破る。

○〜<省略>〜イベリア半島を巡り、イスラム勢力国とキリスト教圏国との支配・被支配の攻防戦が続く……。

○1469年:アラゴン王太子・フェルナンド2世(カトリック王)とカスティーリャ王女・イサベル(夫婦ともカトリック王と呼ばれる/トラスタマラ王家=14世紀〜16世紀/カスティーリャ王国・アラゴン王国・ナバラ王国や南イタリアを支配)と結婚する。

○1474年:イサベル1世がカスティーリャ王女に即位する。

○1479年:フェルナンド2世がアラゴン王に即位し<スペイン王国>が誕生する。

○1492年:グラナダ(最後のイスラム王朝<ナスル朝>のグラナダ王国の首都)が陥落してムスリ‐ナスル朝が滅亡し、イスラム教からのレコキスタ(国土回復運動)が集結する。

○<スペイン帝国>:1492年〜1898年の<米西戦争>で敗れて、中南米・南米を中心にした、ほぼ総ての植民地を失うまでの領域・期間を指す。

1868年〜1874年迄の間は、革命政権の支配下で国王は空位となり、やがてスペイン共和制に移行する。

『スペインのレコンキスタ(国土回復運動)No.1』

AD‐718年〜1492年までスペインのイベリア半島では、ムスリム(イスラム教)勢力による支配から、キリスト教勢力による国土を奪還する為の運動<レコンキスタ>(Reconquista/国土回復運動)が展開されていた。

特に<光元堂グループ>との関係は——778年<フランク王国>のカール大帝が西ローマ帝国(キリスト教圏)の拡大の為に、ピレネー(山脈)を南下してムスリム勢力の山岳民族・バスク軍と戦い、裏切りと奇襲を受け<ロンスヴォーの戦い>で敗退して、多大なダメージを受けて帰還する(叙事詩/ローランの歌)。その後801年にフランク王国はバルセロナ(現‐カタルーニャ州)を攻略する。

<スペイン・レコンキスタの軌跡>:

○711年:ムスリム(神に帰依する者/全イスラム教徒)勢力のウマイア朝が、イベリア半島に侵攻して、西ゴート王国(スペインの前身)を滅ぼす。

○718年:ペラーヨ(滅亡した西ゴート王国の貴族)が、アストゥリアス王国を建国し、コバドンガの戦いでムスリム勢力に初勝利する(レコンキスタ運動の開始)。

○732年:フランク王国がトゥール・ポワティエ間の戦いで、ウマイヤ朝(イスラム)を破り、ピレーネ山脈(フランク王国との国境)以北へのムスリム勢力の侵攻を阻止する。

○750年:ウマイア朝が滅亡し、アッバース朝——イスラムの黄金時代が始まるる。イベリア半島から東はフランク帝国を除く、中央アジアまで支配する。アラブ人の特権を廃止して、すべてのスリム(イスラム教徒)が平等になる。

○751年:フランク王国がメロヴィング朝から、カロリング朝をピピン3世(カール大帝の父/カロリング=カールの意味)が起こす。

○778年:フランク王国のカール大帝がピレーネ(山脈)を南下して、イスラムを征服しようとするが敗北して撤退する。

『フランク王国‐ローマ<カトリック・キリスト教>よりスペイン<カトリック・キリスト教>に繋がる仕組み‐潰れ・潰しの浄化行について』No.2

✩《支倉常長(はせくらつねなが)‐公&遣欧使節団のダイナミックな足跡(そくせき=Huellas/ウエラ)》:

<支倉常長>は、1571年に桓武天皇を先祖に持つ山口常成‐家に生まれ(現‐山形県米沢市)後、叔父‐支倉時政の養子となる。初名は六右衛門長経、幼名は與市。伊達藩の家臣となる。

1611年12月2日に起きた<慶長三陸大地震>(北海道を含む超巨大地震・大津波)の大災害‐被災を復興する為に、伊達藩主・伊達政宗(現‐大神)は西欧と交易する<遣欧使節団>を結成する。その責任者として支倉常長を立てる。

1613年10月28日に支倉常長‐遣欧使節団の帆船‐サン・フアン<バウティスタ号>が牡鹿半島‐月ノ裏(宮城県石巻市)を出港〜メキシコ‐アカプルコ着(3ヶ月後)〜<メキシコシティ>滞在〜スペイン艦隊のサン・ホセ号で大西洋岸ベラクルス州のデ・ウルアを出航〜キューバ<ハバナ港>〜スペイン南部‐デ・バラメーダ港着〜

1615年1月30日に首都<マドリード>でスペイン国王<フェリペ3世>に謁見(えっけん)する。常長は王立修道院の付属教会で洗礼を受けてフランシスコ派カトリック教徒となる(洗礼名=ドン・フィリッポ・フランシスコ)。マドリードを出発〜

10月25日に使節団‐ローマに到着〜常長&ソテロら<ローマ教皇・パウロ5世>に謁見、アジア人でただ一人のローマ貴族となる。ローマ市民権証書‐授与さる。

1617年1月7日‐ローマを出発(一連の外交‐交渉は日本でのキリスト教‐取り締まりの為に成功しなかった)〜スペイン‐セビリア〜サン・フアン<バウティスタ号>でアカプルコを出港〜

1618年8月10日‐フィリピン‐マニラ着、<常長>はバウティスタ号をマニラで売却して日本行きの便船で帰国するも、すでに江戸幕府は<キリスト教‐禁止令>(キリシタン禁制・禁令)を敷き、キリシタン弾圧が始まっていた。

1622年8月7日(帰国2年後)‐失意の内に<支倉常長>公‐逝去(せいきょ)。支倉家は一時的に、お家を断絶される。

○1624年8月25日マニラまで常長に同行していた<ソテロ>はマニラで別れてから、日本に密入国しようとして捕まり、長崎県大村で火刑となり殉教す……。

『フランク王国‐ローマ<カトリック・キリスト教>よりスペイン<カトリック・キリスト教>に繋がる仕組み‐潰れ・潰しの浄化行について』No.1

✼<祈願文>:

◎『スペインの中南米・南米の植民地‐支配・戦争による仕組み〜潰れ・潰しに係わる〈戦死者・虐殺者〉-呪い・呪縛・怨念システム-解消〜ザンゲ!完全浄化・完全脱皮・完全調整』

◎『フランク帝国‐ローマ〈カトリック・キリスト教〉の仕組みに繋がるスペイン〈カトリック・キリスト教〉の植民地‐強制布教による南米・中南米の仕組み〜潰れ・潰し〜ザンゲ!完全浄化・完全脱皮・完全調整』

◎『支倉常長(はせくらつねなが)公&一族に係わる〈旧ケツァルコワトル神組〉のスペイン-カトリック・キリスト教の仕組み課題縁-完全浄化・完全脱皮・完全調整』

◎『《支倉常長(はせくらつねなが)公の墓》〜宮城県川崎町〈円長山・円福寺〉& 仙台市青葉区〈光明寺〉& 黒川郡大郷町〈西光寺〉に係わる常長公& 支倉一族-《旧ケツァルコワトル神組(一員)》への封じ込め‐呪縛・怨念システム〜完全浄化・完全脱皮・完全調整」

◎『支倉常長公&一族に係わる旧ケツァルコワトル神組の《アステカ文明》=中南米・南米の仕組み〜潰れ・潰し〜完全浄化・完全脱皮・完全調整』

◎『伊達政宗(大神)の命による支倉常長‐遣欧使節団(180人余)に係わる<ローマ・カトリックの仕組>完全浄化・完全脱皮・完全調整』

『スペイン語-習学を通してアステカの仕組み浄化』資料-No.2

『スペイン語‐自然(natural)・他』

「太陽」ソル Sol
「地球」ティエラTierra
「海」マール Mar
「空」シエロ Cielo
「星」エストレージャ Estrella
「月」ルナLuna

「銀河」ガラクシアGalaxia
「雲」ヌーベNube
「風」ビエント Viento
「自然」ナトゥラル Natural
「地平線」オリソンテ Horizonte
「魂」アルマ Alma

「光」Luz(ルス)

「夜」Noche(ノチェ)

「希望」Esperanza(エスペランサ)
「闇」Oscuridad(オスクリダー)・Tinieblas(ティニエブラス/詩的な表現)

「炎」Llama(ジャマ/リャマ)

「謎」Enigma(エニグマ)またはMisterio(ミステリオ)