『スペイン語-習学を通してアステカの仕組み浄化』資料-No.2

『スペイン語‐自然(natural)・他』

「太陽」ソル Sol
「地球」ティエラTierra
「海」マール Mar
「空」シエロ Cielo
「星」エストレージャ Estrella
「月」ルナLuna

「銀河」ガラクシアGalaxia
「雲」ヌーベNube
「風」ビエント Viento
「自然」ナトゥラル Natural
「地平線」オリソンテ Horizonte
「魂」アルマ Alma

「光」Luz(ルス)

「夜」Noche(ノチェ)

「希望」Esperanza(エスペランサ)
「闇」Oscuridad(オスクリダー)・Tinieblas(ティニエブラス/詩的な表現)

「炎」Llama(ジャマ/リャマ)

「謎」Enigma(エニグマ)またはMisterio(ミステリオ)

『仕組み‐浄化の為の<スペイン語 (español/エスパニョール)>学習(estudio/エス卜ゥーディオ)』 No.3

『Chan Chanチャン チャン』  (1997) 

Buena Vista Social Club(ブエナビスタ ソシアル クラブ)

  
De Alto Cedroデ アルト セドロ                僕はアルトセドロから

voy para Marcanéボイ パラ マルカネー         マルカネへ行って、
Llego a Cuetoジェゴ ア クエト            クエトに着いて

voy para Mayaríボイ パラ  マヤリー         マヤリーに向かう

(3回繰り返す)
El cariñoエル カリーニョque te tengoケ テ テンゴ          君への恋心を

yo no loヨ ノ  ロpuedo negarプエド ネガール      僕は否定できないんだ
Se me saleセ  メ サレla babitaラ バビータ(?)           湧き出る唾を

yo no loヨ ノ  ロpuedo evitarプエド エビタール           僕はどうにもできないよ  


Cuando Juanitaクアンド フアニータy Chan Chanイ チャンチャン  ファニータとチャンチャンが

enel marエネルマールcernían arenaセルニアン アレナ     浜辺で砂をふるいにかけてたら

Como sacudíaコモ サクディアel ‘jibe’エル ヒベ           彼女が「ふるい」を揺らすので

a Chan Chanア チャンチャンle daba penaレ ダバ  ペナ       チャンチャンは恥ずかしくなった

Limpia elリンピア エルcamino de pajaカミノ  デ  パハ     道の麦わらを片付けてよ

que yo meケ  ヨ メ  quiero sentarキエロ センタール    僕は座りたいんだ
En aquelエン アケルtronco que veoトロンコ ケ  ベオ        見えてるあの木の幹

y así noイ アシ ノpuedo llegarプエド ジェガール      僕はそこにたどり着けないんだ

De Alto Cedroデ アルト セドロ               僕はアルトセドロから

voy para Marcanéボイ パラ マルカネー        マルカネへ行って、
Llego a Cuetoジェゴ ア クエト           クエトに着いて

voy para Mayaríボイ パラ  マヤリー        マヤリーに向かう

(3回繰り返す)

『メキシコ大旅行』(「辺境・近境」村上春樹著-資料として引用)No.2

 インディオたちの味方として立ち上がったのは、バルトロメ・デ・ラス・カサスを中心とするキリスト教の宣教師たちだった。彼らはインディオたちを保護し、スペイン本国に彼らの置かれている窮状を訴え、なんとか奴隷制度の廃止を実現するまでにこぎつけた。これが一五五〇年のことである。サン・クリストバル・デ・ラス・カサス(長い名前なのでラス・カサスと省略して呼ばれることが多い)は彼の名前に因(ちな)んでつけられた。

 もっとも奴隷制度こそなくなったものの、インディオたちの置かれた実質的な隷属状態にはさしたる変化はなく、彼らは定期的に反乱を起こすことになった。一七一ニ年にはツェルタル族のひとりの少女が夢を見た。夢の中にマリア様が出てきて、スペイン人に対して武器を手に取って立ち上がれば、インディオたちに救済がもたらされることになるだろうというお告げをした。

『スペイン語-習学を通してアステカの仕組み浄化』資料-No.1

『Chan Chanチャン チャン』  (1997) 

*Buena Vista Social Club (ブエナビスタ ソシアル クラブ)

  
De Alto Cedro (デ アルト セドロ)  

 僕はアルトセドロから

voy para Marcané(ボイ パラ マルカネー)        

 マルカネへ行って、

Llego a Cueto(ジェゴ ア クエト)            

クエトに着いて

voy para Mayarí(ボイ パラ  マヤリー)         

 マヤリーに向かう

             (3回繰り返す)


El cariño(エル カリーニョ)que te tengo(ケ テ テンゴ)          

 君への恋心を

yo no lo(ヨ ノ  ロ)puedo negar(プエド ネガル)    

 僕は否定できないんだ 

Se me sale(セ  メ サレ)la babita(ラ バビータ)           

 湧き出る唾を

yo no loヨ ノ  ロpuedo evitar(プエド エビタール)         

  僕はどうにもできないよ  


Cuando Juanita(クアンド フアニータ)y Chan Chan(イ チャンチャン)  

 ファニータとチャンチャンが

enel mar(エネルマール)cernían arena(セルニアン アレナ)     

 浜辺で砂をふるいにかけてたら

Como sacudía(コモ サクディ)アel ‘jibe’(エル ヒベ) 

  彼女が「ふるい」を揺らすので

a Chan Chan(ア チャンチャン)le daba pena(レ ダバ  ペナ )      

 チャンチャンは恥ずかしくなった

Limpia el(リンピア エル)camino de paja(カミノ  デ  パハ )    

 道の麦わらを片付けてよ

que yo me(ケ  ヨ メ)  quiero sentar(キエロ センタール)   

 僕は座りたいんだ

En aquel(エン アケル)tronco que veo(トロンコ ケ  ベオ)       

  見えてるあの木の幹

y así no(イ アシ )puedo llegar(プエド ジェガー)ル      

 僕はそこにたどり着けないんだ

De Alto Cedro(デ アルト セドロ)             

  僕はアルトセドロから

voy para Marcané(ボイ パラ マルカネー)        

 マルカネへ行って、


Llego a Cueto(ジェゴ ア クエト)           

 クエトに着いて

voy para Mayarí(ボイ パラ  マヤリー)        

 マヤリーに向かう

                (3回繰り返す


『仕組み‐浄化の為の<スペイン語 (español/エスパニョール)>学習(estudio/エス卜ゥーディオ)』 No.2

Al  salir de casa tras ocuparme en una cosa u otra

 とかくして家を出づれば

me calienta el sol

 日光のあたたかさあり

y respiro profundamente,

 息ふかく吸う

*石川啄木「一握の砂」著 伊藤昌輝 訳・注 エレナ・ガジュゴ・アンドラダ監修(以下同)

その時、その混沌とした時代に産み落とされた彼の短歌には、人間‐石川啄木の家庭や人生道上の苦しい事情が映し出されていますが、それだけではなく現今(いま)に、神々の住む異次元を中心にした生命世界で<宇宙浄化・宇宙革命>が進展している状況の中で、改めて啄木の詩を歌ってみますと……久遠の過去からわたくし達が係わってきた<宇宙変革・宇宙革命>の仕組みを、潰れ・潰ししてきてしまったことで、いまもなおわたくしたち自身の生命の本体の<魂(ミタマ)>や、<自然の諸力・六大要素>が純粋・自由でなく、閉塞された<家>に閉じこもらされている感が続いていますが……。

日々・刻々、「息ふかく吸う」=《ミタマ浄化・ミタマ呼吸!・ミタマ意識》を持続して、ともに仕組み・浄化に邁進したいものです。

又これからの<中嶋 稔>の詩文‐創作にも、スペイン語(単語)を取り入れて、言葉を通しての仕組み‐浄化を深めてゆきたいと思います。

『仕組み‐浄化の為の<スペイン語 (español/エスパニョール)>学習(estudio/エス卜ゥーディオ)』 No.1

わたくしたち《浄化の会》は昨年の10月の合宿より、異次元の神々様から「学びの会」の呼称を頂きました。仕組み浄化の為に絶対的に理解不足・勉強不足! であることを常々、浄化の会の責任者‐眞光は感じていましたので、素直に「その通り」と思えました。そのお言葉の影響からか新年度より、スペイン語の勉強を独学(自己流)で始めていました。

「旅するスペイン語(NHK‐10月〜02月号)」テキストと、「スペイン語で読む石川啄木・一握の砂(CD付き)」他を購入して、インターネット情報をベースにスペイン語‐学習を始めました。その会話や読み・書きをマスターすることが目的ではありませんので、今のところテレビ講座は見ていませんが、はっきりと発音が聞き取れていない石川啄木の<一握の砂>のCDを流しながら、まずスペイン(仕組みに係わる歴史・他)とスペイン語について、整理・理解の為の<学び!>を開始いたしました。

『10月合宿の各仕組み-浄化行の追加・補正-行について』No.2

神社を中心に致しました日本の神界には,キッチリとお正月があってその間、仕組み浄化行はお休みとなることを気づかずに、正月の三ヶ日さんがにち(3日)に新年の仕組み浄化行を行って注意を受けたことがありました……。

「旧ケツァルコワトル組の仏界コース<フランク王国の仕組み‐潰れ・潰し>に係わりますザンゲ! 補正‐遥拝・浄化行」に、縮図日本の<50余ヶ所の寺院の仕組み>浄化の1番寺<大石寺>にも行く予定でしたが、時間が遅くなった為と、少しく準備不足を感じましたので、時の栖すみかから<光の栖>に改称した(?)富士宮市にもある宿泊施設(死海の海水-風呂がある)に2泊して、1月6日に浄化行‐参りをすることに変更致しました。

都心のビジネスホテル風の窓のない部屋で「閉じ込められた!」感がしましたが、準備するには却って良しと致しました。宿泊スペースは静かでしたが、日帰り温泉施設は朝から夜中までずっとザワザワ感がしていました。死海の塩風呂・炭酸風呂・冷水シャワーの温泉行となりました。御殿場のホテルは富士山からの冷水‐風呂でしたが……。

『10月合宿の各仕組み-浄化行の追加・補正-行について』No.1

1月4日(金)、山梨県<北口富士浅間神社>に新年の参拝行と合宿で行いました、「旧ケツァルコワトル組の神界コース<弥生の仕組み‐潰れ・潰し>に係わりますザンゲ! 補正‐遥拝・浄化行」の為に行きました。

<縮図日本の弥生の仕組み50余ヶ所の神社>=1番の神社・北口富士浅間神社〜50-4番の神社・鹿児島神社ですが、さらにその仕組み浄化に係わります<世界の海50余ヶ所>=1番・太平洋‐中央の海〜54番のサンフランシスコ‐沖の海も加えました。

本殿の回り廊下の左角の所で、立ったまま3時間余の浄化行となりましたが、例年ですと1月4日は本殿の階段の前まで、新年の参拝者が列をなすことはなかったようでしたが、今年は参拝者の列が途切れることはありませんでした……。