『メキシコ冨士・ポポカテペトル山/アステカの仕組み』 No.4

過日「縮図日本の中心は富士山(神界)ですが、もう一つの中心が塩釜神社にある……」と、仕組みの先導役の佐田靖治御大師が言われたことがある……。
異次元的な根本理由はいまだ解りませんが、地質学的に見てみますと得心がゆくことが起きていました。
仕組みに失敗して沈み込んだムウ大陸は、現に太平洋プレート上にある分けですが、そのプレートが東北の海岸線下にまで及んでいて、そのプレートはおよそ1万5千年前に大変動を起こしていました。
その1万5千年前には、先ほどのキクリヒメ大神(クレイトウ王妃)の仕組みのアトランティス大陸が、大西洋上にありましたが、ムウ大陸同様にその仕組みに失敗してアトランティック・オーシャンに沈み込んでしまった。
同時期にアトランティス大陸の一部だった北米大陸を挟んだ太平洋側の太平洋プレートが動き、その先き端の山形県・宮城県の沿岸沿いから内陸を押し上げて、〈蔵王連峰〉が造山されることになった。その蔵王連峰の裾野の三陸海岸沿いに〈塩釜神社〉は鎮座しています。

『メキシコ冨士・ポポカテペトル山/アステカの仕組み』 No.3

150万年前〜100万年前まで、太平洋上にあったムウ大陸の〈ムウの仕組み〉も、失敗して太平洋下に沈んでしまいました。本来は太平洋上の何処かの島で、新たにその仕組み浄化を行うのが筋ですが、1975年から1999年迄、宇宙革命の先導役《佐田靖治御大師》とそのグループを中心に地球‐太陽系宇宙での〈神界革命〉が、日本列島を拠点にして始まりそれは成功致しましたので、その仕組みは日本列島に移されました。

世界の十大陸を縮小して集めますと日本列島になりますが、この〈縮図日本〉で長い間、旧体制宇宙の機械妖怪システムによって歪められて来てしまった、太陽系宇宙‐地球‐神界の仕組み革命が成功致しましたので、それは世界中の各国・大陸の仕組みが日本列島に移行したことを意味しています。
長い間ずっと疑問でしたが、ムウの潰された仕組みが宮城県の〈塩釜神社〉下に移されていました。東北地方はロシア大陸・イザナミ神の仕組みに繋がる縮図地ですので、本来でしたらムウの仕組みは、縮図日本的には、スサノオ大神‐オーストラリア大陸‐四国で展開するのが筋でした。

が、潰れたムウの仕組みは、東北の塩釜神社(主神は塩土老翁(シオツチオジ)/ムウのスサノオ大神)に移され、それも本殿にはその仕組み潰しを仕掛けた、旧体制のアマテラス軍神‐フツヌシ神・タケミカヅチ神が祀られ、右奥の脇殿にはスサノオ大神とムウのグループ神が押さえ込まれた仕組みになっていました。

『メキシコ冨士・ポポカテペトル山/アステカの仕組み』 No.2

ちなみにマヤ文明は、5万年前から1万5千年前に大西洋上にあった、アトランティス大陸で展開したキクリヒメ神界の仕組みに連関していました。
その主神はキクリヒメ大神——クレイトウ王妃(夫神‐ポセイドン王/スサノオ神)ですが、アトランティスの仕組みは五回に渡って失敗して、その大陸は大西洋下に沈んでモクズとなってしまいましたが、その仕組みに繋がるマヤでは神官が太陽や月、金星や水星・他の惑星の運行を研究して作成したマヤ暦が、農業や戦争、予言などに応用し、特に最近では「2012年12月に人類は滅亡する」等の予言が世間を騒がせましたが、異次元的には、人類に課されていた二千年以降に展開した、〈宇宙浄化・宇宙革命の仕組み〉が失敗していたならば、それは実現してしまっていたことになります。

その前年(2011年)3月に、東日本大震災が起こり、イザナギ・アマテラス機械‐妖怪体制によって潰された、スサノオ神界の〈ムウの仕組み〉が、その呪縛を解いて立ち上がっていました。

『メキシコ冨士・ポポカテペトル山/アステカの仕組み』 No.1

ポポカテペトル山は日系人や日本人に、「メキシコ冨士」と親しみを持って呼ばれている、円錐形の成層火山で時々噴火している。2020年1月9日には溶岩や火山灰を伴った噴煙を上げました。
ポポカテペトル山(5500m)はメキシコ合衆国の首都・メキシコシティーの東南70㎞の所にあり、ナワトル語では「煙りを吐く山」と呼ばれてきた。

15世紀から16世紀の初め頃までの95年間、メキシコ高原にピラミッド建設初め、首都・テノチトランの島にチナンパ有機農法や廃棄物ゼロ社会・他など、高度な文明を築いて栄えた〈アステカ(帝国)‐メシカ〉は、1521年にスペインによって滅ぼされ植民地化されてしまいましたが、その言い伝えでは、ポポカテペトル山が噴火すると「この世の浄化が始まる」、「略奪された全てのものが蘇る」、「アステカの呪い」等との言い伝えがありました。
メキシコの隣でユカタン半島や、ベリーズ・グアテマラ・ホンジュラスの領域に、アステカ同様に高度な文明を築いて栄えた〈マヤ文明〉にも、同様の言い伝えがありました。