『闇の底いに向かって』No.2

 

降り注ぐ雨は山肌を縫う細流となり、

渓流をなし、束ねた水流が烈しく落ちてゆく、

深いふかい谷底に向かって、滝の飛沫が、

無心の舞い舞い放下(ほうげ)してる。

重いおもい肥満の心が削がれながら、

墜ちてゆく、落ちて行き、ゆるやかに降りてゆく、

黒闇の底無しに向かって。

気の遠くなる程、時が流浪した闇を穿(うが)ち、

やがて……何処からともなく、

ほのぼのと灯が湧いて来て、ほのめいているる。

やがて谷間(たにあい)の滝の音が、鮮やかに朝色に染まってく。

山頂への上昇志向ばかりでなく、時に降りて行く、

あれやこれ過去がいっぱい詰まった、闇の底いに向かって。

『闇の底いに向かって』No.1

『闇の底いに向かって』  中嶋 稔

人生を山に例えて、

ひたすらに、頂上目指して登ることに、

倦(う)みあぐねた心よ……立ち止まり、

汗ばんだ頬を撫でてゆく、

山あいを渡る風の音を聴き、

ブナ、ナラ樹の葉ずれに耳を寄せる。

アマツバメ、イワヒバリ、頭部がオレンジ色のコマドリ、

ブルーな羽のルリビタキ達のヒソヒソ声や、

小ぶりの角のニホンカモシカや、ヤマネ、

可憐な貂(テ)ン顔に似て、岩をつかむ獰猛(どうもうな)手爪のオコジョの、

山岳を駆け抜けた息のするる。

上ばかり見ていた重いまなこを下に落とす、

微かに水の音が、谷のそこはかとない匂いが届いて来ないか。

『アデン アラビア』

ポール・ニザン

 ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。
 一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ。恋愛も思想も家族を失うことも、大人たちの仲間に入ることも。世の中でおのれがどんな役割を果しているのか知るのは辛いことだ。
 ぼくらの世界は何に似ていただろうか。この世界は、ギリシャ人が、雲のかたちにでき上りつつあった宇宙の起源にあったとする混沌に似ていた。わずかにちがっていたのは、この混沌がおわりの、真のおわりの始まりであって、このおわりから何かがまた始まろうとする端緒ではないと思われたことだ。
 世界がなお保っている力のありったけを汲みつくそうとするさまざまの変容を前にして、ごく少数の目撃者だけがこの神秘を解く鍵を見出そうと努力していた。しかしただ分ったのは、この混乱のためにいずれ現存するもののすべてが天寿をまっとうして死ぬだろうということだけだった。
 いっさいは、もろもろの病いをしめくくるあの無秩序に似ていたのだ。つまり、肉体のすべてを結局は目に見えないものにしてしまう死が姿を現わすに先立って、いままでひとつのものだった肉がばらばらになり、数を増した肉体の各部分がそれぞれ自分勝手な方向に伸びだすのである。その結果ゆき着く先はかならず腐敗であり、もはやそこに復活ということはない。

新訂詩文『初音(はつね)ウグイス』No.4

「変異ウグイス? 新種ネオウグイス!」

「ホー ホケホケ」の子ウグイスを卒業して、

「ホーホケキョー」ではなく、ほこらかに威厳を持って、

「ホー ホケ ケキョー」

「ホー ホケ ケキョー」

「ホー ホケ ケキョー」

〈❊〉註=