『関根隆の影』井伏鱒二(「白い館」の帯の紹介‐詩文)
その影はむっくりと地から起きあがり
リフトのようにすいすいと岡をのぼる
云わずもがな生ある一個の影法師だ
腰に鍵束をぶらさげメドハギの杖をつき
傍目もふらず頂上の石造ロッカーを訪ねて行く
腰の鍵束は伊達に持っていないのだ
影法師は鍵を鳴らしてロッカーを開け
なかなる算木と筮竹を置き換えて
名著「易占・瞬間立卦秘法」を立ち読みする
かくして再びすいすいと岡をくだる
岡の麓に年旧りたる泉がある
影法師はメドハギの杖をその泉に立てる
泉の深さを計るためである
だが古人は云った
「泉の深さは計り知り得るが
その尽きせぬ水の量は計り知れないのだ」
影法師の嘆きはそこにある