キリスト教・イスラム教の言う、唯一無二・絶対的な存在者である<父なる神>が、永遠・普遍的な生命イノチの働きを有した存在ならば、その父なる神の本質的な働きとしての<愛‐アガペー>は存在しないことになります——愛と憎は相反する相対的な働き‐意識ですから、また父なるも母なるも相対する働きで、それだけでも絶対・普遍的な働きを有していません。ので、その神があくまでも絶対・普遍的な存在を通すのでしたら、無変化・無機質・無慈悲・無愛・無性、無‐心、無味乾燥……的な存在モノと言うことになってしまいます。
キリスト教の聖書や他の聖典で説かれた神の言葉を読んでゆきますと、いつくしみ・怒り・悲しみ……等の感情にあふれた表現で書かれていますが、その神の<永遠>の向こう側はどうなっているのでしょうか?