『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.3

関根隆さんとの出会いは、わたくしが大学を中途卒業(?)して、アルバイトを捜していた時にどのような縁でしたか……21歳のわたくしは、凸版印刷の校閲室(大手のA出版社)に来ていて、プロとしての校正の経験が殆ど無いに等しいのわたくしは、何故か氏に採用されて、しばらく勤めることになりました。がその間、お仕事上で大変ご迷惑をお掛けしていたのではなかったかと思われます……。

その時、発表されていた関根隆さんの詩についての感想を求められた時に、なんと言ったのか記憶にはありませんが、「……そのような感想は初めてだ、おもしろい」と言われて、「詩集 肉体」を頂いて帰った記憶があります。「詩集 肉体」だけは未だ見つかっていませんので、最近古本屋に注文いたしました。関根隆氏についての詩文をいつか書いてみたいと思います。

 

『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.2

この「ほれやすい葦」の詩を吉野弘氏は、パスカルの<考える葦>のパロディー詩として紹介している。

すぐにソワソワしだす男の辞書に

絶望というコトバはない

ほれやすい葦の上には

いつも希望の星ばかり

詩人-関根隆は1930年の東京生まれで、お住いは荻窪で何回かお伺いしたことがあり、近間の喫茶店でお茶をしてイチゴ・ケーキを食べたことがありました。小説家で詩人-井伏鱒二さんも荻窪住まいで、生前に氏とは親交があり〈白い館〉の詩集の帯の推薦文を書いて頂いていました。

『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.1

長い間、どこぞかに隠れていた(?)詩集が見つかりました。引っ越し先の荷物をほどいて並べて頂いた本棚に、並んだ本の上に隠れんぼするように、屈まないと見えない所に置いてありました。

詩集「午後4時のフェミニスト」1986年1月16日発行200部限定、第「60」冊目(赤い印字)に当たる、豪華な装丁本で定価は1万円でした。

「謹呈  関根隆」のボールぺのサインがあり、ご自身の文字に本人曰く、「ミミズが這ったような文字」〜一字・一字! タマシイこめてひときわ丁寧に、書いている姿が印象されています。お手紙も新聞の切り抜き——詩人‐吉野弘の「かすかなユーモアと控え目なエロス」の新聞-書評も入っていました。

〈新世界への道〉➝酷暑に真冬の詩を! No.5

『寒〜暑 烈しき町で』  <5>      中島 稔

いつ頃からか日本列島は雪、少なとなり、

夏は記録的‐酷暑が続き、「地球は温暖化に向かっている!」も、

今年‐正月明けに、大寒波に襲われ「非常事態宣言!」の、

ニューヨークや空港……西欧も「寒冷地化してしまってる?」

予報士泣かせの、ゲリラ台風・大竜巻・大洪水、

北の国では豪雪‐注意報など、「天候‐大異変!」

のニュースが、枚挙(まいきょ)に遑(いとま)なく放映されている。

〈新世界への道〉➝酷暑に真冬の詩を! No.4

『寒〜暑 烈しき町で』  <4>  中島 稔

一昨日まで、煤(すす)けていた空の顔(かんばせ)を、

洗い清めて、まっさらな朝陽が立ち昇ってゆく。

オナガ・カケス・シジュウガラ・スズメ……達、

除雪して、斑点(まだら)模様に溶け始めた庭で、

放(ほう)ったお米・残飯を、競って啄(ついば)んでいる。

裏庭の家陰(やかげ)には、屋根からずり落ちた雪も載(の)り、

7〜80㌢の積雪に、昭和30年頃にタイムスリップしたかのよう。

 

〈新世界への道〉➝酷暑に真冬の詩を! No.3

『寒〜暑 烈しき町で』  <3>  中島  稔

四月(うづき)には赤・白・ピンクに咲き染める、花言葉は、

永続・公平・「私の想い受け止めて!」の、

ハナミズキの街路樹を、すばしこく走り抜け、

冬枯れの木に、雪花(ゆきばな)咲かせてく。

一日25時間、ところ狭しと飛んで跳はねて、

雪橇(ゆきぞり)を駆り走り回っているる、雪の精‐

雪ん子たちを、誰も視ることができなくなったの?

雪ん子と遊ぶ子供たちは、何処に行ってしまった。

〈新世界への道〉➝酷暑に真冬の詩を! No.2

『寒〜暑 烈しき町で』 <2>  中島 稔

ヒトの記憶から、久しく説話(おはなし)からも、

消えていた〈雪ん子〉たちが、突然現われて、

小さなビルからビルへ、日がな工業団地の、

粘板岩(ねんばんがん)のスレート屋根の、大きな滑り台や、

山麓の別荘を移したかの、お伽噺(とぎばなし)ちっくな、

ログハウスや、枯れ芝になっていたその庭へ、

朝からメロンパン焼く、トンガリ帽子屋根の

ベーカリーに、雪橇(ゆきぞり)を駆(か)り、巡って行った。

〈新世界への道〉➝酷暑に真冬の詩を! No.1

『寒〜暑 烈しき町で』     中嶋 稔

年に一〜二度だけ、ほんの少し雪の降るる、

空(から)っ風の吹きまくる町で、今年ばかりは

ドシン・ドシン・ドシン……北極の白クマのような、

大雪が容赦無く、落ちてきた。

むかしは上毛(かみつけ)の平野側は、雪国でもないのに、

軒先きから、いく本もの太いツララが下がり、

雪室(かまくら)を作ることができる時節(とき)もあった。

今いま!〈新世界への道〉→ * 時々、浄化を!

『<TOKOWAKA>の機械・科学コンピューター・特殊システムに係わる、東北<T・Y・A>グループの、金銭鬼・誑(たぶらかし)鬼・蠱惑(こわく/偽‐悩み相談・占い)の妖怪化‐集団と、関西〈陰陽師(おんみょうじ)〉の蠱惑(こわく)特殊‐妖怪システムの式神(しきがみ)——鬼神(きじん)=荒ぶる神・妖怪・魑魅魍魎(ちみもうりょう)の使役(しえき)とによる、《新-光元堂》会員・準会員・ご縁者(+取り込まれた方も)・先祖各位・諸神様方! 他の被害者への、呪い・呪縛、取り込み・封じ込め‐妨害・かき回し! 完全浄化・完全脱皮・完全調整!がなり、光り浄化が成りますよう、祈りあげます!』

 

『新‐光元堂の<悩み事!相談>室の開設』 No.2

北米大陸‐中南米(南米)の縮図日本‐北海道<洞爺湖・大雪山・函館山>での、光元堂グループ(旧-ケツァルコワトル神組)の過去世‐最大の、仕組み課題の浄化・脱皮行が、今回で一つの区切り・納め行となり、さらにその仕組み課題を会員・準会員‐個別的に、詳細に深化・検証して、完全浄化・完全脱皮する段階に入りました、ことをご報告いたします。

同時に、<新‐光元堂建立>に対しまして会員・準会員‐各自に、神々様から次のお言葉を頂いております。

「(新‐光元堂に灯りました)この火目指して、さらなるる集います人々にとりまして、皆様は先達のお勤め致されます心がけさらに強く致しましょう。学びに限りありません。自己の学びを伝える人となって、不毛をば嘆き生きる人々の力となるも目指さるる、光元堂の充実も願いまして……」