*緊急情報!『自然‐天候異変!』 No.8

——の仕組み調整が行われ、更に<空の神>=イビキヒコ神・イビキヒメ神&<空の神界>=コトシロヌシ大神・ワカヒルメ大神の復権・復活!が成り、《自然の諸力・五大要素》に<生殖器要素の働き>を加えて、旧体制機械妖怪システムを完全脱皮して、新体制宇宙の<自然の諸力・六大要素>の働きによる、浄化の仕組みが整いました!

**『旧体制機械システムの偽‐<自然の諸力・五大要素>の浄化行』

◎「機械システム1号機:旧オオクニヌシ神・旧スセリヒメ神=歪み・汚した<空‐ミタマ>要素の働き‐被(かぶ)せ・乗っ取り 完全浄化・完全脱皮・完全調整!」

◎「機械システム2号機:旧‐クニトコタチ神&ヒツジヒメ神=歪み・汚した<風‐意識>要素の働き‐被(かぶ)せ・乗っ取り 完全浄化・完全脱皮・完全調整!」

◎「機械システム3号機:旧‐父神(イザナギ神)&母神(イザナミ神)=歪み・汚した<火‐体>要素の働き‐被(かぶ)せ・乗っ取り 完全浄化・完全脱皮・完全調整!」

◎「機械システム4号機:旧‐スサノオ神&キクリヒメ神=歪み・汚した<水‐エネルギー>要素の働き‐被(かぶ)せ・乗っ取り 完全浄化・完全脱皮・完全調整!」

◎「機械システム5号機:=旧‐特別自然機・薬師(クスシ/神)=歪み・汚した<土‐素材>要素の働き‐被(かぶ)せ・乗っ取り完全浄化・完全脱皮・完全調整!」

◎「旧体制<自然機‐諸力・五大要素>のシステムによる、新宇宙・新世界の<自然の諸力・六大要素>の働き‐封じ込め・掻き回し・被(かぶ)せ‐完全浄化・完全脱皮・完全調整!

 

今いま!〈新世界への道〉→『自然‐天候異変!』 No.7

1975年から佐田靖治御大師・<光の会(現‐仕組みの会)>を中心に(<浄化の会>も加わり)、2000年までの25年間に渡って行われました、<縮図日本‐神界革命>で、まず旧来の女性神中心の<祓戸(はらえど)の神>の仕組みを、男性神を加えて再編成して<自然の諸力・五大要素>の浄化の働きが、旧体制機械システム内で調整・改善されました。

*ここに来まして特に、この旧機械<自然の諸力・五大要素>システムからの妨害・掻き回しもある為に、<自然の諸力・六大要素>の浄化行の前にこれを加えますが、しばらく日・日の浄化として行なってみてください。

◎1号機:旧‐オオクニヌシ神&スセリヒメ神=<空‐ミタマ>

◎2号機:旧‐クニトコタチ神&ヒツジヒメ神 =<風‐意識>

◎3号機:旧‐父神(イザナギ神)&母神(イザナミ神)=<火‐

体>

◎4号機:旧‐スサノオ神&キクリヒメ神=<水‐エネルギー>

◎5号機:=旧‐特別自然機・薬師(クスシ/神)=<土‐素材>

 

 

今いま!〈新世界への道〉→『自然‐天候異変!』 No.6

「生命‐宇宙の始まりは、善的であれ悪的であれ、それが神的行為であれ、エネルギー現象であれ、<生命‐宇宙の創生>は何モノかの《欲望‐desire》によって始まった!」ことになります。

欲望は、欠けているモノ、不足しているコトを補う働き、満たされない心を補う意識のことですが、その何モノかが純粋そのもの、<無意・無心>そのもであったならば、世界はいつまでもその始まりはなかったでしょう……。

欲望は永遠に充足されることはない。なぜなら、欲望は満たされた途端に次の欲望は生み出すから」(ギリシャ哲学者・エピクロス)

テーマを戻しますが、旧体制機械システムにも<自然の諸力>の浄化の働きがあり、大祓詞(おおはらえのことば)にも載っていましたが、女性神がそれを受け持っていました。

◎土の働き:(海水・渦潮)ハヤアキツヒメ神(潰された母神系神)

◎水の働き:(滝・川)セオリツヒメ神(潰されたスセリヒメ系神)

◎火の働き:サスラヒメ神(潰されたヒツジヒメ系神)

◎風の働き:イブキドヌシ神(潰されたキクリヒメ系神)

◎空の働き:空の神界(コトシロヌシ神・ワカヒルメ神)と、

空の働きの神は潰れて不在状態でした。

*女性系の<浄化の神>は旧体制機械システムに潰されて、本来の働きを入れ替えられてサイボーグ神として使われていました。

今いま!〈新世界への道〉→『自然‐天候異変!』 No.5

キリスト教・イスラム教の言う、唯一無二・絶対的な存在者である<父なる神>が、永遠・普遍的な生命イノチの働きを有した存在ならば、その父なる神の本質的な働きとしての<愛‐アガペー>は存在しないことになります——愛と憎は相反する相対的な働き‐意識ですから、また父なるも母なるも相対する働きで、それだけでも絶対・普遍的な働きを有していません。ので、その神があくまでも絶対・普遍的な存在を通すのでしたら、無変化・無機質・無慈悲・無愛・無性、無‐心、無味乾燥……的な存在モノと言うことになってしまいます。

キリスト教の聖書や他の聖典で説かれた神の言葉を読んでゆきますと、いつくしみ・怒り・悲しみ……等の感情にあふれた表現で書かれていますが、その神の<永遠>の向こう側はどうなっているのでしょうか?

今いま!〈新世界への道〉→『自然‐天候異変!』 No.4

最初のこの<精霊界>で、生命‐調整が始まってゆくことのなります。まだこの段階では神も人間も不在です。植物的生命体の発生〜動物的生命体への進化‐脱皮、さらに〜人間的生命体(精霊界ですから肉体はありませんので精霊体を纏まとっている)〜そして、人間を完全‐浄化脱皮・進化して<神々の誕生!>となってゆきます。

宗教的には不条理であれ、どんなモノ・コトにも順序・理の道(reason)があります。宗教が説いている神による宇宙創造は、その後のある段階の世界観について説いていますのでそれは間違いではありません。

 

今いま!〈新世界への道〉→『自然‐天候異変!』 No.3

現時点で分かっているわたくしたちの<生命・宇宙>は、その発生の源‐《無源‐生命》から始まったことになりますが、何故かその「無源‐生命は純粋無垢な無源ではなく、汚れ・障り状態から始まってしまっていた」と言うことです。

「太初はじめに言葉ありき、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき、この言葉は太初に神とともにありき。萬よろずのものはこれによりてなり。成りたる物に一つとしてこれによらでなりたるはなし。これに生命いのちあり……」(ヨハネ伝福音書)

太初はじめの現象‐働きは、神や言葉から生じたのではなく、「はじめに《無源‐生命》より張力(tensile)在り! <張力>より原初的‐未成熟な《自然の諸力・五大要素》‐<地・水・火・風・空>の働きが生じ、やがて<精霊界>が形成されて、最初の生命体の<精霊>が産まれ……やがて進化・生育して行きました。

 

今いま!〈新世界への道〉→『自然‐天候異変!』 No.2

1980年代にウインドウズ(Microsoft Windows)が開発され、そのソフト(OS)を使ってコンピューター・システムは瞬く間に地球全体を席巻せっけんし、21世紀の機械‐科学文明を一2気に進化・発展へと導き今日に至っていますが、このことと異常気象はどう関係しているのでしょうか?実はこの科学・機械<コンピューター・システム>は、わたくしたち人類が開発する以前の過去の大昔……それもこの太陽系・銀河宇宙ができる、遥かはるか以前に、すでに開発されたモノです!

仏教‐(古代インド)的な理念に、<因果応報・因縁>という世界観がありますが、現在起きている諸々の事象・現象は、過去にその原因があって、その時に処理されていない問題・トラブルは、現在のわたくしたち自身に、または生存‐世界に反映されてきている! コトになります。

今いま!〈新世界への道〉→『自然‐天候異変!』 No.1

「科学文明の発展が必然的に巻き起こしてしまう異常気象は、人類にとっては避けては通れない難題である……」(佐田靖治御大師述)

「地球温暖化・異常気象!」と言われてから、この日本列島でも立て続けに起きている天候異変! それも日本だけでなく、世界各国でも異常とみえる自然の大災害——台風・サイクロン・ハリケーン・山火事(自然発火)……他・等(+)大地震!が、「破壊のための破壊!」的な猛威を振るっているかのように見えますが……いったいそれは、異次元の<神・仏・霊>の世界とどう関係しているのでしょうか? 何がそこで起きているのでしょうか?

そしてそれは、佐田靖治御大師が言われているように、人類の<科学文明>の急激な進化・発展とどう関係しているのでしょうか?

『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.5

『関根隆の影』井伏鱒二(「白い館」の帯の紹介‐詩文)

その影はむっくりと地から起きあがり

リフトのようにすいすいと岡をのぼる

云わずもがな生ある一個の影法師だ

腰に鍵束をぶらさげメドハギの杖をつき

傍目もふらず頂上の石造ロッカーを訪ねて行く

 

腰の鍵束は伊達に持っていないのだ

影法師は鍵を鳴らしてロッカーを開け

なかなる算木と筮竹を置き換えて

名著「易占・瞬間立卦秘法」を立ち読みする

かくして再びすいすいと岡をくだる

 

岡の麓に年旧りたる泉がある

影法師はメドハギの杖をその泉に立てる

泉の深さを計るためである

だが古人は云った

「泉の深さは計り知り得るが

その尽きせぬ水の量は計り知れないのだ」

影法師の嘆きはそこにある

 

 

『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.4

タイトルがとても印象的な詩集「午後四時のフェミニスト」は、この表現だけで、詩人‐関根隆のお姿が浮き出している! 「フェミニスト」=女性解放論者と言うよりも、女性をとても大切に扱うヒト——男性は多かれ少なかれ、マザー・コンプレックス!? 的‐紳士の、仕事を終える夕方まえの、身・心も疲れ、憂える-想いする時刻(とき)の詩歌かな。

その時、発表されていた関根隆氏ささんの詩についての感想を求められた時に、何んと言ったのか記憶にはありませんが、「……そのような感想は初めてだ、おもしろい」と言われて、「詩集 肉体」を頂いて帰った記憶があります。「詩集 肉体」だけは未だ見つかっていませんので、最近古本屋に注文いたしました。関根さんについての詩文をいつか書いてみたいと思います。

イタリア製の靴を履き、英国製のシャツとドイツ製の背広を着て、いつも質実・壮健な姿に見えましたが、「白い館」の詩集でご自身のことを——ぼくをモデルにした人物のように、しろまなこうす赤く、くろまなこがきらきらと粘っこくひかる、いつも不きげんそうな、それでいて、なんか、おびえているような、あまりぞっとしない四十男に映った……等と。