争いがお嫌いな、学問・受験や知恵の神に祭られて、
天神さんとなった菅原道真(みちざね)公——律令国家の平安時代、
天皇(トップ)を補佐するお役目の、従二位の右大臣に、
従一位は政治に長(たけた)左大臣、年下の藤原時平に。
それを取り巻く貴族達の仕掛けた、〈昌泰(しょうたい)の変!〉の、
政争の謀略(ぼうりゃく)にはめられ、あえなく失脚・左遷(させん)されて、
京の都〜落ちして行く……家族・配下はバラバラに、
多くは北の奥羽の地に遠流(おんる)され、道真公はお一人で、
人の尊厳・財すべて剥奪され、着の身〜着のままに、
はるか遠く南の太宰府(へきち)に、とぼとぼと流刑さるる。
それは世界を変革する仕組み〈註1〉を負った人間の、
「帰りはこわい」〜非道・過酷な宿命なの……。
✻「こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ」