今いま!〈新世界への道〉→『自然‐天候異変!』 No.5

キリスト教・イスラム教の言う、唯一無二・絶対的な存在者である<父なる神>が、永遠・普遍的な生命イノチの働きを有した存在ならば、その父なる神の本質的な働きとしての<愛‐アガペー>は存在しないことになります——愛と憎は相反する相対的な働き‐意識ですから、また父なるも母なるも相対する働きで、それだけでも絶対・普遍的な働きを有していません。ので、その神があくまでも絶対・普遍的な存在を通すのでしたら、無変化・無機質・無慈悲・無愛・無性、無‐心、無味乾燥……的な存在モノと言うことになってしまいます。

キリスト教の聖書や他の聖典で説かれた神の言葉を読んでゆきますと、いつくしみ・怒り・悲しみ……等の感情にあふれた表現で書かれていますが、その神の<永遠>の向こう側はどうなっているのでしょうか?

今いま!〈新世界への道〉→『自然‐天候異変!』 No.4

最初のこの<精霊界>で、生命‐調整が始まってゆくことのなります。まだこの段階では神も人間も不在です。植物的生命体の発生〜動物的生命体への進化‐脱皮、さらに〜人間的生命体(精霊界ですから肉体はありませんので精霊体を纏まとっている)〜そして、人間を完全‐浄化脱皮・進化して<神々の誕生!>となってゆきます。

宗教的には不条理であれ、どんなモノ・コトにも順序・理の道(reason)があります。宗教が説いている神による宇宙創造は、その後のある段階の世界観について説いていますのでそれは間違いではありません。

 

今いま!〈新世界への道〉→『自然‐天候異変!』 No.3

現時点で分かっているわたくしたちの<生命・宇宙>は、その発生の源‐《無源‐生命》から始まったことになりますが、何故かその「無源‐生命は純粋無垢な無源ではなく、汚れ・障り状態から始まってしまっていた」と言うことです。

「太初はじめに言葉ありき、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき、この言葉は太初に神とともにありき。萬よろずのものはこれによりてなり。成りたる物に一つとしてこれによらでなりたるはなし。これに生命いのちあり……」(ヨハネ伝福音書)

太初はじめの現象‐働きは、神や言葉から生じたのではなく、「はじめに《無源‐生命》より張力(tensile)在り! <張力>より原初的‐未成熟な《自然の諸力・五大要素》‐<地・水・火・風・空>の働きが生じ、やがて<精霊界>が形成されて、最初の生命体の<精霊>が産まれ……やがて進化・生育して行きました。

 

今いま!〈新世界への道〉→『自然‐天候異変!』 No.2

1980年代にウインドウズ(Microsoft Windows)が開発され、そのソフト(OS)を使ってコンピューター・システムは瞬く間に地球全体を席巻せっけんし、21世紀の機械‐科学文明を一2気に進化・発展へと導き今日に至っていますが、このことと異常気象はどう関係しているのでしょうか?実はこの科学・機械<コンピューター・システム>は、わたくしたち人類が開発する以前の過去の大昔……それもこの太陽系・銀河宇宙ができる、遥かはるか以前に、すでに開発されたモノです!

仏教‐(古代インド)的な理念に、<因果応報・因縁>という世界観がありますが、現在起きている諸々の事象・現象は、過去にその原因があって、その時に処理されていない問題・トラブルは、現在のわたくしたち自身に、または生存‐世界に反映されてきている! コトになります。

今いま!〈新世界への道〉→『自然‐天候異変!』 No.1

「科学文明の発展が必然的に巻き起こしてしまう異常気象は、人類にとっては避けては通れない難題である……」(佐田靖治御大師述)

「地球温暖化・異常気象!」と言われてから、この日本列島でも立て続けに起きている天候異変! それも日本だけでなく、世界各国でも異常とみえる自然の大災害——台風・サイクロン・ハリケーン・山火事(自然発火)……他・等(+)大地震!が、「破壊のための破壊!」的な猛威を振るっているかのように見えますが……いったいそれは、異次元の<神・仏・霊>の世界とどう関係しているのでしょうか? 何がそこで起きているのでしょうか?

そしてそれは、佐田靖治御大師が言われているように、人類の<科学文明>の急激な進化・発展とどう関係しているのでしょうか?

『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.5

『関根隆の影』井伏鱒二(「白い館」の帯の紹介‐詩文)

その影はむっくりと地から起きあがり

リフトのようにすいすいと岡をのぼる

云わずもがな生ある一個の影法師だ

腰に鍵束をぶらさげメドハギの杖をつき

傍目もふらず頂上の石造ロッカーを訪ねて行く

 

腰の鍵束は伊達に持っていないのだ

影法師は鍵を鳴らしてロッカーを開け

なかなる算木と筮竹を置き換えて

名著「易占・瞬間立卦秘法」を立ち読みする

かくして再びすいすいと岡をくだる

 

岡の麓に年旧りたる泉がある

影法師はメドハギの杖をその泉に立てる

泉の深さを計るためである

だが古人は云った

「泉の深さは計り知り得るが

その尽きせぬ水の量は計り知れないのだ」

影法師の嘆きはそこにある

 

 

『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.4

タイトルがとても印象的な詩集「午後四時のフェミニスト」は、この表現だけで、詩人‐関根隆のお姿が浮き出している! 「フェミニスト」=女性解放論者と言うよりも、女性をとても大切に扱うヒト——男性は多かれ少なかれ、マザー・コンプレックス!? 的‐紳士の、仕事を終える夕方まえの、身・心も疲れ、憂える-想いする時刻(とき)の詩歌かな。

その時、発表されていた関根隆氏ささんの詩についての感想を求められた時に、何んと言ったのか記憶にはありませんが、「……そのような感想は初めてだ、おもしろい」と言われて、「詩集 肉体」を頂いて帰った記憶があります。「詩集 肉体」だけは未だ見つかっていませんので、最近古本屋に注文いたしました。関根さんについての詩文をいつか書いてみたいと思います。

イタリア製の靴を履き、英国製のシャツとドイツ製の背広を着て、いつも質実・壮健な姿に見えましたが、「白い館」の詩集でご自身のことを——ぼくをモデルにした人物のように、しろまなこうす赤く、くろまなこがきらきらと粘っこくひかる、いつも不きげんそうな、それでいて、なんか、おびえているような、あまりぞっとしない四十男に映った……等と。

 

 

『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.3

関根隆さんとの出会いは、わたくしが大学を中途卒業(?)して、アルバイトを捜していた時にどのような縁でしたか……21歳のわたくしは、凸版印刷の校閲室(大手のA出版社)に来ていて、プロとしての校正の経験が殆ど無いに等しいのわたくしは、何故か氏に採用されて、しばらく勤めることになりました。がその間、お仕事上で大変ご迷惑をお掛けしていたのではなかったかと思われます……。

その時、発表されていた関根隆さんの詩についての感想を求められた時に、なんと言ったのか記憶にはありませんが、「……そのような感想は初めてだ、おもしろい」と言われて、「詩集 肉体」を頂いて帰った記憶があります。「詩集 肉体」だけは未だ見つかっていませんので、最近古本屋に注文いたしました。関根隆氏についての詩文をいつか書いてみたいと思います。

 

『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.2

この「ほれやすい葦」の詩を吉野弘氏は、パスカルの<考える葦>のパロディー詩として紹介している。

すぐにソワソワしだす男の辞書に

絶望というコトバはない

ほれやすい葦の上には

いつも希望の星ばかり

詩人-関根隆は1930年の東京生まれで、お住いは荻窪で何回かお伺いしたことがあり、近間の喫茶店でお茶をしてイチゴ・ケーキを食べたことがありました。小説家で詩人-井伏鱒二さんも荻窪住まいで、生前に氏とは親交があり〈白い館〉の詩集の帯の推薦文を書いて頂いていました。

『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.1

長い間、どこぞかに隠れていた(?)詩集が見つかりました。引っ越し先の荷物をほどいて並べて頂いた本棚に、並んだ本の上に隠れんぼするように、屈まないと見えない所に置いてありました。

詩集「午後4時のフェミニスト」1986年1月16日発行200部限定、第「60」冊目(赤い印字)に当たる、豪華な装丁本で定価は1万円でした。

「謹呈  関根隆」のボールぺのサインがあり、ご自身の文字に本人曰く、「ミミズが這ったような文字」〜一字・一字! タマシイこめてひときわ丁寧に、書いている姿が印象されています。お手紙も新聞の切り抜き——詩人‐吉野弘の「かすかなユーモアと控え目なエロス」の新聞-書評も入っていました。