今いま!〈新世界への道〉→ 『縄文の丘 光りの館』No.4

「ホロロホロ、ホロホロロ、ホロ」


東北・奥羽の虚空(こくう)を支えるかに、百五十年余、

すっくと立ち、生育してきたイチイ樹には、

小さな真紅の甘い実がなり、種子や針葉(しんよう)に潜む、

毒性‐アルカロイド成分は、煎(せん)じて神経痛、

糖尿・腎臓病の漢方と薬効するるか。

北東北・北海道には榊(さかき)なく、ご神事には、

雪‐強いイチイの枝葉を使う、らし。

今いま!〈新世界への道〉→ 『縄文の丘 光りの館』 No.3

その鳥の姿をだれ一人、視たことがない。

ヒトが来るぞ!」と、坂下あたりに見えると、

静謐な樹林の大気を、些(いささか)も泡立てることなく、

微(かす)かに「ホロロ・ホロロ」鳴き声のするる。

杉樹林の入り口‐エリアに、ヒトが来ると、

ピタリとその鳴き声が止むので、どなたも、

その姿を見たことがない……アニメ映画・「生きろ。

もののけ姫」の〈こだま〉似の、もののけのする、

ヒソヒソのつぶやき……この杜(もり)の、番人かもしれない。

今いま!〈新世界への道〉→ 『縄文の丘 光りの館』 No.2

「ホロロホロ、ホロホホロ」と鳥の鳴く。

 

東北‐奥羽の中心都市の一角に、《縄文の丘》と呼ぶ、

丘陵があり、どなたが伝承したのか〈縄文の丘〉は、

かつて中空に浮かび、あてどもなく千年・万年を、

漂流していた天空の丘だった、伝説(よし)……。

今は東北‐奥羽の〈百五十年の杜(もり)〉に降りて、

ひっそりと沈思・鎮座しているる。

いつからその一角に、厚い本を真ん中で開いて、

伏せたかの、切り妻‐様式の洋館が建ち、

《白い館》と呼ばれるようになっていたの……。

今いま!〈新世界への道〉→ 『縄文の丘 光りの館』 No.1

長い鴉珠(ぬばたま)の髪の毛を、三つ編みに結(ゆ)うように、

植物の繊維や茎を柔かくし、細長く撚より合わせて、

綯(な)った縄で、モノを括(くく)ったり繋(つな)げたり、

土器‐模様にした《縄文》のむかし、

祭祀(さいし)に使うのか燃え立つ炎(ほむら)を、粘土で造形した、

〈火焔土器〉や、東北の恵比須田(えびすだ)遺跡から出土した、

宇宙人の姿を模倣して、宇宙服を纏(まと)ったかの〈遮光器(しゃこうき土偶!〉、

真ん中をまわるくくり抜き、その外を中円で線彫りし、

小円を散りばめ彫刻していた、「どなたにさし上げる」

硬いチーズ・クッキーで、作ったかの髪簪(かんざし)や、

漆うるし塗りしたアカ櫛の、胴にぎりに10本余の、

細いヒゴ棒を付けた櫛の歯で梳(す)く、

髪の毛の少女は、どんな縄文ファッションしていたの。

 

『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.5

『関根隆の影』井伏鱒二(「白い館」の帯の紹介‐詩文)

その影はむっくりと地から起きあがり

リフトのようにすいすいと岡をのぼる

云わずもがな生ある一個の影法師だ

腰に鍵束をぶらさげメドハギの杖をつき

傍目もふらず頂上の石造ロッカーを訪ねて行く

 

腰の鍵束は伊達に持っていないのだ

影法師は鍵を鳴らしてロッカーを開け

なかなる算木と筮竹を置き換えて

名著「易占・瞬間立卦秘法」を立ち読みする

かくして再びすいすいと岡をくだる

 

岡の麓に年旧りたる泉がある

影法師はメドハギの杖をその泉に立てる

泉の深さを計るためである

だが古人は云った

「泉の深さは計り知り得るが

その尽きせぬ水の量は計り知れないのだ」

影法師の嘆きはそこにある

 

 

『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.4

タイトルがとても印象的な詩集「午後四時のフェミニスト」は、この表現だけで、詩人‐関根隆のお姿が浮き出している! 「フェミニスト」=女性解放論者と言うよりも、女性をとても大切に扱うヒト——男性は多かれ少なかれ、マザー・コンプレックス!? 的‐紳士の、仕事を終える夕方まえの、身・心も疲れ、憂える-想いする時刻(とき)の詩歌かな。

その時、発表されていた関根隆氏ささんの詩についての感想を求められた時に、何んと言ったのか記憶にはありませんが、「……そのような感想は初めてだ、おもしろい」と言われて、「詩集 肉体」を頂いて帰った記憶があります。「詩集 肉体」だけは未だ見つかっていませんので、最近古本屋に注文いたしました。関根さんについての詩文をいつか書いてみたいと思います。

イタリア製の靴を履き、英国製のシャツとドイツ製の背広を着て、いつも質実・壮健な姿に見えましたが、「白い館」の詩集でご自身のことを——ぼくをモデルにした人物のように、しろまなこうす赤く、くろまなこがきらきらと粘っこくひかる、いつも不きげんそうな、それでいて、なんか、おびえているような、あまりぞっとしない四十男に映った……等と。

 

 

『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.3

関根隆さんとの出会いは、わたくしが大学を中途卒業(?)して、アルバイトを捜していた時にどのような縁でしたか……21歳のわたくしは、凸版印刷の校閲室(大手のA出版社)に来ていて、プロとしての校正の経験が殆ど無いに等しいのわたくしは、何故か氏に採用されて、しばらく勤めることになりました。がその間、お仕事上で大変ご迷惑をお掛けしていたのではなかったかと思われます……。

その時、発表されていた関根隆さんの詩についての感想を求められた時に、なんと言ったのか記憶にはありませんが、「……そのような感想は初めてだ、おもしろい」と言われて、「詩集 肉体」を頂いて帰った記憶があります。「詩集 肉体」だけは未だ見つかっていませんので、最近古本屋に注文いたしました。関根隆氏についての詩文をいつか書いてみたいと思います。

 

『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.2

この「ほれやすい葦」の詩を吉野弘氏は、パスカルの<考える葦>のパロディー詩として紹介している。

すぐにソワソワしだす男の辞書に

絶望というコトバはない

ほれやすい葦の上には

いつも希望の星ばかり

詩人-関根隆は1930年の東京生まれで、お住いは荻窪で何回かお伺いしたことがあり、近間の喫茶店でお茶をしてイチゴ・ケーキを食べたことがありました。小説家で詩人-井伏鱒二さんも荻窪住まいで、生前に氏とは親交があり〈白い館〉の詩集の帯の推薦文を書いて頂いていました。

『詩人‐関根隆との邂逅(かいこう)』  No.1

長い間、どこぞかに隠れていた(?)詩集が見つかりました。引っ越し先の荷物をほどいて並べて頂いた本棚に、並んだ本の上に隠れんぼするように、屈まないと見えない所に置いてありました。

詩集「午後4時のフェミニスト」1986年1月16日発行200部限定、第「60」冊目(赤い印字)に当たる、豪華な装丁本で定価は1万円でした。

「謹呈  関根隆」のボールぺのサインがあり、ご自身の文字に本人曰く、「ミミズが這ったような文字」〜一字・一字! タマシイこめてひときわ丁寧に、書いている姿が印象されています。お手紙も新聞の切り抜き——詩人‐吉野弘の「かすかなユーモアと控え目なエロス」の新聞-書評も入っていました。

〈新世界への道〉➝酷暑に真冬の詩を! No.5

『寒〜暑 烈しき町で』  <5>      中島 稔

いつ頃からか日本列島は雪、少なとなり、

夏は記録的‐酷暑が続き、「地球は温暖化に向かっている!」も、

今年‐正月明けに、大寒波に襲われ「非常事態宣言!」の、

ニューヨークや空港……西欧も「寒冷地化してしまってる?」

予報士泣かせの、ゲリラ台風・大竜巻・大洪水、

北の国では豪雪‐注意報など、「天候‐大異変!」

のニュースが、枚挙(まいきょ)に遑(いとま)なく放映されている。